銀色のあしあと
銀色のあしあと
<あらすじ>
苦しみに会ったことは私にとって幸せでした
---不慮の事故で手足の自由を失い、筆を口にくわえ、花に寄せて命の詩画を歌い上げる星野富弘。大病に怯まず執筆を続ける作家三浦綾子が、彼を訪ね、美しい自然の中で生きることの喜びを語り合う。
爽やかな風が心を包み、癒され、生きる勇気を呼び起こす名篇。
~文庫本カバーより
<感想>
星野富弘さん、名前は知っていましたがその作品や生きざまは知りませんでした。なんだかとっても爽やかな人だなと思いました。「苦しみに会ったことは幸せでした」とさらりと言えてしまうすごさ。なかなかそこまでの心境にはなれないですね。頭が下がる想いです。
とても示唆に富む対談集だと思うのですが、その中でも特にキラリと光ってたのは、
星野「ほんとに、山の花というのは、人が見ようが見まいが、まったく関係なくきれいに咲いてますね。」
三浦「ねぇ、それがすごいでしょう。人間は見られるとこばっかりきれいにするのに。」(「自然は最高の教師」P.35)
そうだそうだとうなずきながらも自分には山の花の真似はできそうもないなというのも実感しました。見られるところをきれいにするというのもあるのでしょうが、とても人様にはお見せできない内面を持ってるような気がして怖いような気もしました。でも、きれいじゃない と思えるものであってもそれが自然の姿だったらどうなんでしょう。とても人には見せられないものだと自分では思っていてもそれは人間なら誰でも持ちうるものであるかもしれないとも思いました。
三浦「尊敬の念が、美しい愛に変わっていったんですね。尊敬を通しての、そういう愛っていうのが大事だと思うのです。」(「宝石が隠されている人」P.92)
こういう恋愛、一生に一度でいいからしてみたいと思いましたね。私にとって理想に近いというか理想以上でとっても難しそうとも思いましたが。
三浦「マイナスの数字は多ければ多いほど、プラスになったとき大きな数字になる。苦難も「幸せ」であると、ふだん平凡なこともよくなるし、みんなが喜ぶようなことをもっと深く喜べるというか、花の美しさが何倍にも感じられたり。」(「苦しみに会ったことは」P.101)
逆転の発想なのでしょうか。冒頭で書いた「苦しみに会ったことはわたしにとってしあわせでした」に関しての三浦さんの発言なのですが、こういう風に考えられればとても楽しい人生に感じられることなのでしょう。頭でそう考えるだけでなく、身に沁みてそう考えられるようになれればいいなと思いました。
そして、喜びや感動を素直に表現できればいいなと思いました。どうも私にはそういう面が苦手なところなものですから。
重たい作品が多い三浦作品ですが、この本は読後感がとても爽やかな一冊です。
(1999/11/22 はまション)
<書籍情報>
「銀色のあしあと」
三浦綾子 | 星野富弘
講談社文庫 1999/10/15発行
ISBN4-06-264682-X

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