2010年1月31日

三浦光世さん 理事長退任へ 三浦綾子文化財団

大変お疲れさまでした。

【旭川】三浦綾子記念文学館(旭川市神楽)を運営する三浦綾子記念文化財団の理事長を財団設立の1999年以来務めてきた三浦光世さん(85)が、1月末で退任する。2月1日付で、盛永孝之理事(74)=旭川・盛永組会長=が理事長となり、三浦さんは名誉理事長となる。

三浦光世さん 理事長退任へ 三浦綾子文化財団

2010年1月11日

関連記事:再生のとき

毎日新聞の2010/1/11付けの記事から。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100111ddm041040097000c.html

高島さんは、岡山市内の高校を卒業後、愛知県内の自動車関連会社に就職した。北海道を旅行中、好きだったクリスチャンの作家、三浦綾子さんゆかりの教会を訪ねたところ、偶然三浦さん本人が来ており、あいさつを交わした。高島さんには、この出会いが運命的に思え、前から関心があったキリスト教に入信した。24歳だった。尊敬するのはマザー・テレサ。このころから「人のために生きたい」という思いが強くなった。

2010年1月10日

三浦作品検索データベース

三浦綾子さんの作品を検索するためのデータベースをここに公開しています。

現在、書籍タイトルベースでのデータベースとエッセイのタイトルベースでのデータベースを公開しています。

エッセイ検索データベース

作品検索データベース

<検索方法>

検索語句を入力して検索すると、タイトルにその語句を含んだ(部分一致した)エッセイがリストアップされます。

例えば「愛」と入力して検索するとタイトルに愛という文字を含んだエッセイがリストアップされます。

三浦綾子関連リンク集

三浦綾子に関するサイトのリンク集です。

最終更新日: 2006-07-14

★定番サイト~お薦め★

三浦綾子 愛読者ページ

金井 輝人さんのページ。
文学年譜、著作一覧、思い入れ、好きな言葉、お気に入り、書評・感想、らくがき帳、疑問と回答、愛読者名簿、綾子リンク---多数のコーナーあり。三浦綾子ファンの書き込みが満載の三浦ファン定番サイトです。

1999/12/29Link

インテグラル

Kaoriさんのページ。
三浦綾子最新情報で、各種イベント、出版情報などをチェック!

1999/12/29Link

ソンシアの家(三浦綾子と旭川)

(以前、三浦綾子記念文学館でボランティアされていた)コッコさんのページ。
「三浦綾子と旭川」 コーナーに神楽外国樹種見本林の四季、旭川マップ、記念文学館情報など旭川密着情報のほか、”光綾の会”など全国の三浦綾子ファンの集まりに関するページがあります。

1999/12/29Link

全国三浦綾子読書会

三浦綾子さんの著作について読んで、ディスカッションをして学び合う、という読書会を全国的に展開されている会の本家のウェブサイト。
インターネット読書会、ツアー(旅行)など幅広く活動されています。

2006/01/14Link

三浦綾子ファンのリング

らみぃさんのページ。
ウェブリングという仕組みを使って三浦綾子関連サイトを数珠つなぎにリンク。数多くの三浦綾子サイトが登録されています。

2000/11/07Link

★三浦綾子関連ウェブログ★

三浦綾子関連ウェブログのまとめ

過去に紹介した三浦綾子関連ホームページの一覧

三浦綾子ウェブリングの復刻版

三浦綾子ウェブリングに登録されているホームページの一覧

★三浦綾子ファン(個人)のページ★

ひゃくまんつぶの麦新聞

あきとしさんのページ。
クリスチャン新聞としてのひゃくまんつぶの麦新聞の他、あきとしさん作のグリーティングカードやポストカードなどを販売しているWebShop、イラストが描ける掲示板。

2006/01/14Link

三浦綾子記念ページ

浅野さんのページ。
三浦綾子愛読者ページ休止期間中にファンの交流用にと作成されたのをきっかけに読まれた本の紹介や各種リンク集などが掲載されています。

2006/01/14Link

『あんこや』ホームページ

あんこやさんのページ。
三浦光世さんの講演会の様子が掲載されています。三浦さんのサインや三浦さんからのハガキなどの写真もあります。”三浦光世さん公認ページ”。

2000/12/02Link

三浦綾子さんのページ

殿さんのページ。
掲示板「三浦綾子さんのファンの広場」があります。その他、休止以前の掲示板の過去ログなどもアップされています。

2000/09/16Link

mayu’s homepage

ちびさんのページ。
三浦綾子への想いを綴った「三浦綾子と私」や「作品紹介」の他、掲示板もあります。

2000/01/16Link

Easygoing

零詞さんのページ。
三浦綾子さんの年譜や著作の紹介、ドラマ氷点2001の超詳しい解説&つっこみ、三浦光世さんの講演会のレポートなどのほか、掲示板もあります。

2001/12/12Link

so far, so good... so what!

Dark Messiahさんのページ
この中のIntroduction of Literatureに三浦綾子さんの著作の紹介があります。
氷点と塩狩峠の解説が掲載されています。

2000/11/07Link

★文学館、出版関係、各種団体★

三浦綾子記念文学館公式ホームページ

旭川にある三浦綾子記念文学館のページ。
交通・利用ガイド、文学館のあらまし、展示コーナー、賛助会員友の会の紹介コーナー。

2000/01/29Link

三浦綾子記念文学館

旭川冨貴堂書店さんの三浦綾子記念文学館のページ。
開館にあたり三浦さんのコメント、文学館建設の経緯や作品の舞台となった場所や文学碑を訪ねたコーナーがあります。三浦綾子リンク百科もサイト募集中です。

2000/01/29Link

関西三浦綾子文学愛好会「ナナカマドの会」

成瀬達哉さんのページ
成瀬達哉さん主催のナナカマドの会の公式ホームページ。
関西方面の三浦綾子ファンがオフラインでも集まり、三浦綾子を熱く語るそうです。

2000/11/07Link

三浦綾子氏特集(北海道教育大学附属図書館旭川分館)

北海道教育大学附属図書館旭川分館のページ。
年表、著作目録、(旭川分館所蔵)三浦綾子氏著書・関係資料目録があります。

1999/12/29Link

函館中央教会・三浦綾子さんのコーナー

日本イエス・キリスト教団函館中央教会のページ。
記念文学館、塩狩峠に関する記事があります。

1999/12/29Link

教文館

東京・銀座にある書店・教文館のホームページ。
三浦綾子さんの特集コーナーがあるほか、キリスト教関係の書籍多数。

2000/11/07Link

★メーリングリスト、メールマガジン★

三浦綾子メーリングリストのページ

ろぷさん主催の三浦綾子さんに関するメーリングリスト。

2000/01/19Link

FreeMLの三浦綾子メーリングリスト

hiroさん主催の三浦綾子さんに関するメーリングリスト。リンク先はFreeMLによる三浦綾子MLの紹介ページ。参加者100名突破

2000/11/07Link

氷点での作家デビュー以後

1963年(昭和38年) 41歳

1月1日 朝日新聞社が大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の一千万円懸賞小説公募を発表。

12月31日 午前2時小説「氷点」を完成させる。

1964年(昭和39年) 42歳

6月19日 朝日新聞社が応募総数731編の中から第一次候補作品25編を決定発表。氷点もその中に入る。

6月24日 朝日新聞本社からデスクの門馬義久記者が綾子を訪問。

6月30日第2次選考を通過

7月6日 一位入選の内定通知が届く。

7月10日 朝日新聞紙上に氷点の入選発表。

7月21日 朝日新聞社東京本社講堂にて授賞式。

8月 氷点連載に備え、雑貨店閉店。

7月~8月 全国各地で記念公演。東京(7/21)・大阪(7/24)・名古屋(7/27)・北九州(8/3)・旭川(8/6)・札幌(8/7)で受賞記念講演。

8月20日 旭川市主催の受賞祝賀会。

12月9日 朝日新聞朝刊に「氷点」連載開始(1965年11月14日まで)。

1965年(昭和40年) 43歳

5月22日 キリスト教伝道講演会。「人間の行きつくところ」札幌市真駒内明星幼稚園

5月23日 キリスト教伝道講演会。「幸福とは」札幌市真駒内明星幼稚園

6月4日 講演「キリスト教と文学」北海道大学。

6月17日 旭川市立図書館・朝日新聞社主催の「氷点」読書座談会、三愛会館。

7月12日 主婦の友社主催”お母さまのための講演会”「愛としあわせ」苫小牧市王子娯楽場。

7月13日 主婦の友社主催”お母さまのための講演会”「愛としあわせ」旭川市公会堂。

7月 「主婦の友」8月号から初の月刊小説「ひつじが丘」を連載開始(66年12月号まで)。

9月16日 旭川市文化賞受賞。

9月 「オール讀物」10月号(文藝春秋社)に初の短編「井戸」を発表。

11月 「氷点」朝日新聞社より刊行。(年末までに71万部)

11月中旬 関西各地で講演。神戸(国際会館)、京都(同志社大学)、大阪(岡本教会他)。

12月 講演。「キリスト教入信等の自己の軌跡について」札幌市月寒(つきさむ)教会。「愛と人生について」札幌市月寒教会、札幌YMCA十周年記念。

1966年(昭和41年)44歳

3月18日 講演会、品川キリスト教会

3月19日 講演会、「『氷点』の人物について」朝日新聞社。

3月26日 「『氷点』をめぐる女の生き方」福岡市電気ホール。

4月 小説「塩狩峠」を日本基督教団発行の「信徒の友」に連載開始。(68年10月号まで)

5月 随筆「妻の茶の間から」を「週刊女性自身」(光文社)五月二十三日号から連載開始(七月十一日号まで)。のちに随筆集『愛すること 信ずること』講談社刊に収録。

8月28日、29日 講演会「人生雑感」北海道豊富町豊富中学校。第十一回宗谷婦人大会。

9月30日 講演会「人生について」山形県民会館。

10月1日 講演会「信仰雑感」山形市六日町教会。

12月1日 光世、旭川営林局を退職。綾子のマネージャーに専念する。

12月10日 小説『ひつじが丘』刊行(主婦の友社)。

12月 「主婦の友」67年新年号から自伝『道ありき』を連載開始(68年12月号まで)。

1967年(昭和42年) 45歳

1月9日 「ひつじが丘」がドラマ化され、TBS、HBCのテレビドラマ「愛の自画像」として放送開始。

3月 自伝『草のうた』を「女学生の友」(小学館)に連載開始(68年3月号まで)。

4月24日 小説『積木の箱』を朝日新聞夕刊に連載開始(69年5月18日まで)。

10月 講演会。3日「幸福について」福島市労働福祉会館。4日「愛について」川俣町貿易会館。

10月30日 随筆集『愛すること 信ずること-夫婦の幸福のために』刊行(講談社)。

1968年(昭和43年) 46歳

4月1日 NET(現テレビ朝日)制作「積木の箱」放送開始(13回連続)。

5月25日 小説『積木の箱』刊行(朝日新聞社)。

6月3日 講演「愛するということ」主婦の友社。6日「なくてはならぬもの」宮古市。25日 札幌光塩大学。

7月7日 講演「ふたつの愛」室蘭市知利別教会。

7月21日 講演「親のありかた」北海道上川町。

7月25日 講演「文学と宗教」旭川市北日本大学。

7月31日 札幌市にて講演。

8月8日 定山渓にて講演。

8月18日 砂川市にて講演。

8月19日 帯広市にて講演。

8月20日 音更町にて講演。

8月28,29日 札幌市にて講演。

8月30日 講演「私の小説の中から」苫前町・留萌地方教育研究大会。

以降、次回更新。

1.誕生から作家デビュー以前

1922年(大正11年) 0歳

4月25日 綾子、北海道上川郡旭川区四条通十六丁目左二号(北海道旭川市4条通16丁目左2号)で父堀田鉄治、母キサの次女(第5子)として誕生。 この時の家族:父鉄治(33歳)、母キサ(29歳)、長男道夫(12歳)、次男菊夫(10歳)、三男登志夫(7歳)、長女百合子(4歳)、鉄治の末妹スエ(13歳)の七人家族であった。

1923年(大正12年) 1歳

1924年(大正13年) 2歳

11月9日 弟の四男鉄夫誕生。

1925年(大正14年) 3歳

1926年(大正15年) (昭和元年) 4歳

1927年(昭和2年) 5歳

3月27日 弟の五男昭夫誕生。

1928年(昭和3年) 6歳

3月 堀田家市内9条通12丁目右7号に転居。

1929年(昭和4年) 7歳

4月 大成尋常高等小学校入学。渡辺ミサヲ先生に6年間学ぶ。

6月22日 妹の三女陽子誕生。

1930年(昭和5年) 8歳

春 クリスチャンの一家前川家が隣に引越してくる。のちに綾子に大きな影響を与える前川正と知り合った。

クリスマスの夜、正の妹・前川美喜子に誘われて初めて教会へ行く。

1931年(昭和6年) 9歳

3月 前川一家引越す。

綾子三年生に進級。級長に選ばれる。

級友・石原寿みに誘われてこの夏から一年間日曜学校に通う。

級友から「本きちがい」の異名をとるほどの文学少女だった。

1932年(昭和7年) 10歳

春 禅寺の日曜学校に通う。

夏休みに父母の故郷苫前に行き、初めて海を見る。

9条通12丁目左3号に、あらためて移転。

長兄の家業、早朝牛乳配達の手伝い始める。(その後7年間続ける。)

1933年(昭和8年) 11歳

2月25日 弟の六男治夫誕生。

5年生の新学期、無投票で級長に選ばれる。

はじめての小説「ほととぎす泣く頃」を書く。

1934年(昭和9年) 12歳

夏はドッジボールの練習に励む。

学芸会の劇「舌切雀」に心奪われる。

12月 次兄菊夫が結婚。

1935年(昭和10年) 13歳

4月 旭川市立高等女学校へ推薦入学。

6月24日 妹・陽子結核で死亡。(6歳。のち「氷点」のヒロインにその名前が付けられる)

1936年(昭和11年) 14歳

1月3日 弟の七男秀夫誕生

作文「井伊大老について」を書き、校内外で評判となる。

1937年(昭和12年) 15歳

リュウマチと称し3ヶ月間休学。読書に専念する。

1938年(昭和13年) 16歳

陸軍病院へ傷病兵を慰問。 その中の一人と初恋。

1939年(昭和14年) 17歳

3月 旭川市立高等女学校卒業。

4月 空知郡歌志内公立神威尋常高等小学校に代用教員として赴任。

1940年(昭和15年) 18歳

代用教員から訓導(正規教員)となる。

1941年(昭和16年) 19歳

4月 神威尋常高等小学校文珠分教場へ転任。

9月 旭川市立啓明国民学校へ転勤。

1942年(昭和17年) 20歳

4月 一年生の担任となる

夏 札幌の高等技芸学校で手芸の講習を受ける。その際にのちに婚約者となる西中一郎と知り合う。

1943年(昭和18年) 21歳

1944年(昭和19年) 22歳

夏、愛国飛行場に女子青年団の指導員として動員される。

1945年(昭和20年) 23歳

1946年(昭和21年) 24歳

3月 啓明小学校を退職。

4月 西中一郎と婚約

6月 肺結核を発病し、市内10条11丁目結核療養所白雲荘に入る。

11月 炊事や掃除もできないほど衰弱したため自宅へ帰る。

1947年(昭和22年) 25歳

1948年(昭和23年) 26歳

8月 再度療養所に入る。療養所で結核療養者の会「同生会」の書記を務める。

12月27日 再入所。結核で休学中の北大医学部学生、前川正と再会。その後、千通にも及ぶ書簡の往復が始まる。

1949年(昭和24年) 27歳

4月 病状は好転しなかったが、退院する。

6月 斜里に住む西中一郎を訊ね、婚約を解消、虚無と自棄の末に自殺未遂。

1950年(昭和25年) 28歳

6月 前川正と共に北海道大学附属病院で受診。

1951年(昭和26年) 29歳

10月 市内旭川赤十字病院に入院。

クリスマスに日本キリスト教会旭川教会牧師を病院に招く。

1952年(昭和27年) 30歳

2月 脊髄カリエスの疑いが強まり、札幌医科大学附属病院に入院。

3月 前川正の葉書を受けた日本基督教団北一条教会員西村久蔵の見舞いを受ける。

5月 脊椎カリエスと診断される。

7月5日 西村久蔵の導きで札幌北一条教会の小野村林蔵牧師より病床受洗。

1953年(昭和28年) 31歳

7月12日 西村久蔵急逝。

10月 札幌医科大学附属病院をギブスベッドのまま退院。自宅療養に入る。

11月16日 前川正が綾子を訪問(最後の訪問)。その後まもなく前川正病状悪化。

1954年(昭和29年) 32歳

4月25日 前川正からの便りが届く。これが最後の便りになった。

5月2日 前川正死去。享年35。この後、あまりの悲しみに一年間ほとんど人に会わずに過ごす。

1955年(昭和30年) 33歳

6月18日 キリスト教誌「いちじく」の誌友、三浦光世初めて綾子を訪ねる。以後一週間に一度、光世の見舞いを受ける。

1956年(昭和31年) 34歳

病状、次第に快方に向かう。

6月 五十嵐健治が初めて綾子を見舞う。

7月 三浦光世より結婚の申し込みを受ける。

1957年(昭和32年) 35歳

起座歩行可能となる。

1958年(昭和33年) 36歳

7月 幻覚症状のため北海道大学附属病院に入院。二ヶ月後、退院(異常なし、脊髄カリエス完治確認)。

1959年(昭和34年) 37歳

1月25日 日本基督教団旭川六条教会で三浦光世と婚約式。聖書を交換する。

5月24日 日本基督教団旭川六条教会中嶋正昭牧師司式により結婚式。以後三浦姓となる。新居は市内9条14丁目左9号。

9月30~10月1日、層雲峡へ新婚旅行。

10月 腎臓結核の既往症のあった光世が発熱。翌年6月まで休職療養。

1960年(昭和35年) 38歳

9月 雑貨店を兼ねた自宅の新築を計画。(この時建築を請け負ったのが小説”岩に立つ”の主人公のモデルになった鈴木新吉である)

10月 光世の故郷滝ノ上町訪問

12月22日 10人の子どもを招き、第1回子どもクリスマスを自宅で開く

1961年(昭和36年) 39歳

1月 「主婦の友」募集の第一回「婦人の書いた実話」にペンネーム・林田律子で応募。作品は「太陽は再び没せず」

3月 旭川六条教会牧師館に留守番として入る。

6月1日 光世盲腸炎にて入院。

7月15日 退院。市内東町3丁目(現・豊岡2条4丁目)の新居に移る。

8月1日 雑貨店・三浦商店を開業。

12月10日 主婦の友社からの「太陽は再び没せず」の入選通知。

1962年(昭和37年) 40歳

12月中旬発行の「主婦の友」新年号に"愛の記録"入選作「太陽は再び没せず」が掲載される。

2.ハートのしみ作成のきっかけ

2.ハートのしみ作成のきっかけ

4~5年前にインターネットの世界を知り、三浦綾子さんに関係するサイトを検索したりしました。そんな中で発見したのが「三浦綾子愛読者ページ」という三浦綾子ファンのページでした。自分もこういうページを作ってみたいものだと漠然と思いました。そしてホームページというものが素人でも簡単に作成できるということも知り、それならひとつ作ってみようかなと思ったのがこの「ハートのしみ」です。

このホームページ「ハートのしみ」というタイトルの由来ですが、実はパクリです。4,5年前の角川文庫の表紙カバーに書いてあったコピーからいただきました。

そのコピーは、目にしてからなぜかずぅっと私の心に残っていました。そして「ハートのしみ」っていう言葉の響きが、読むたびに私の心にだんだんとしみこんでいく三浦作品にぴったりかなと思ったのです。

一度読んだら染め上がっちゃうのではなく、徐々にしみこんでくるのが三浦作品じゃないかなと思っています。

まだ三浦作品を読んだことがない人でも以前は読んだことがあるが今は読んでいない人など、みなさんにも三浦作品にふれてもらい、三浦作品の持つ力を感じて欲しいと思い、このホームページを作成しています。そしてみなさんのハートにも三浦作品の何かがしみこんでいけばよいなと願っています。

1999/11/23

1.三浦作品との出会い

.三浦作品との出会い

私が三浦作品と出会ったのは、20歳の頃でした。当時、好きだった人から三浦綾子さんの本を紹介され、その中の一冊である『塩狩峠』を読んだのが最初の出会いでした。

それまでの私は読書といっても歴史小説を読むことが多く、武者震いするような感動はあっても、心洗われるような感動そして涙する感動をする本にはあまり出会ったことがありませんでした。本を読んで涙したのは『塩狩峠』が初めてでした。

それからというもののひつじが丘、道ありき、氷点、積木の箱等々を読んでいきました。私の読書スタイルとしては一人の作家の作品だけをひたすら読むというよりはいろんな作家の本を交互に読んでいく傾向があるので、一時期に集中して読んだわけでもなく、何年もかけていろんな作品を読んでいます。ですからペースは遅いものの、未だに三浦作品は読み続けています。

未だに三浦作品を読み続けているのは、月並みかもしれませんが、読むと「心が洗われるような感じがする」「頑張って生きていこうと勇気づけられる」「高まる気持ちを静めてくれる」といった気持ちにさせてくれるからだと思います。また、驕った気持ちを謙虚な気持ちにしてくれるというのも理由の一つかもしれません。

1999/11/23

三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編

番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編

1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より

ゲスト:高野斗志美さん

前編からの続きです

(それでも明日は来るの朗読を聞きながら)

司会:

高野さん、引き続きよろしくお願いいたします。

高野:

お願いいたします。

司会:

この1時台は三浦綾子さんが1989年、ちょうど10年前に出された「それでも明日はくる」というエッセイをご自身で朗読されたテープを聞きながら三浦さんを偲んでいきたいと思います。ではまず、巻頭の三浦さんのメッセージからお聞きください。

こんにちは。三浦綾子でございます。「それでも明日はくる」という私の随筆の本のこの題はみなさんが喜んでくださいました。健康な方とか、何事もない日々が無事に過ぎていく方には明日という言葉はそれほど大きなものではないかもしれませんけれども、私などのように十三年間も病気をしたとか癌などという病気にとりつかれて苦しい思いをしたとかあるいはなにかで苦しんでいる方にとって、明日という言葉は本当に希望のある言葉だと思います。しかし、明日は常に希望に満たされているというわけではなく、いつか死ぬ、明日も来るわけですけれども、でも死も決して最後ではないんだということを私は言いたいと思ってこの本を書きました。

とにかく死も決して最後ではない、神の愛によって永遠の愛を与えられる、そこにこそ本当の明日があることを信じて共に生きていこうではありませんか。お元気で。

司会:

高野さん、死も決して最後ではないそうですね。本当の明日があるんだということを三浦さん、おっしゃっていますね。

高野:

そうですね。やはり同時に三浦綾子さんは人間にとっては人生の終わりには死ぬという大切な仕事がある、という風に常日頃からおっしゃっておられましたですね。ですから今日の三浦綾子さんのお話と表裏一体を成して、そこに生きることと死ぬことを見つめた作家の姿がありありと浮かんできますね。

司会:

なるほどね。ちょうどこのテープを吹き込まれた1989年、ちょうど十年前、「それでも明日はくる」のエッセイが出た年なんですが、三浦夫妻の結婚30周年、またその綾子さんの作家生活25周年、たいへん記念すべき年だったのですねぇ。

高野:

そうですね。結婚生活40年をやがて迎えていくわけでそれで夫婦のこの世での生活は終わるのですけれども、そういう晩年に向かって、やはりこの作家が心技体、そういう色々な苦しみを乗り越えながら新しい作品の世界に向かって自分を歩ませていく、ということもありますし、それからやがてこのあとパーキンソン病という難病にかかっていく、そのいわば前夜ということになりますね。

司会:

作品ばかりでなく講演活動も非常に積極的にされていた方ですが、この年あたりからその講演を控えられると、

高野:

そうですね、三浦文学ということを大きく考えた場合には、小説、エッセイの他に、三浦綾子さんの場合は講演活動というのがひとつの大きな分野を占めているわけです。その講演は非常に大きな影響を聴衆に与えていったわけですけれども、それが少しお体がだんだんと不自由になって、やがてできなくなっていく、というのはたいへんつらいことであったろうと思いますね。

司会:

その意味でのこうしたテープを通して、多くの方々にメッセージを送りたいという気持ちがあったのかもしれませんねぇ。

高野:

そうですね、やはりそうだと思います。たくさんの人に、心を造り替えていって欲しいという願いを込めたメッセージをこういう形で送り届けたかったんだろうと思いますね。

(冬の塩狩峠)

司会:

さあそれでは三浦綾子さんの朗読「それでも明日はくる」の中の冬の塩狩峠の一部をお聞きいただきたいと思います。

塩狩峠は旭川から最果ての稚内に向かって北方三十余キロの地点にある。この塩狩峠は手塩の国と石狩の国の境にあるのでその名がついた。
旭川は寒い土地だ。わたしたちの小学校の頃の地理の本には日本一寒いところだと出ていたものだ。が、それは測候所が少なかったからで実はもっと寒いところが北海道にはいくらもある。この塩狩峠もその寒いところのひとつだ。この峠を越えると旭川とは十度も違うと言われるほどに厳しい冬がそこにある。
なぜ私が井戸という小説に塩狩峠を出したか、それにはいくつかの理由がある。十八歳の冬、私は女学校時代の恩師を訪ねて名寄に行った。寒い日だった。汽車の窓が厚い氷紋で覆われ、外は少しも見えなかった。客車の中には小さなダルマストーブがあるだけで、オーバーを着ていても、寒さが身に沁みた。どのあたりを走っているのかと、私は窓にぺたりと掌をつけて、五ミリはある厚い氷紋を融かそうとした。が、掌が痛いほどに冷たくなって、私はすぎに手をひっこめた。そして毛糸の手袋をはき、僅かに一センチ程融けかかった部分から、その周囲に向かってごしごしと氷紋を削りはじめた。そしてようやく、僅かにひろがったガラス越しに、私は息をのむような光景を見た。黒ぐろとつづく針葉樹林に、きらめく霧氷を見たのだ。
霧氷は、空気中の湿気が樹木に凍りついて、水晶の林とも、銀の林ともいいたいような様を呈する。旭川育ちの私は、霧氷はいつも見ていたが、その時の汽車の窓から見た霧氷は、未だかつて見たこともないほどに、荘厳なまでにきびしく美しかった。折から朝日がその林を照らし、私は一瞬、童話の国に誘い込まれたような、錯覚を覚えた。あまりの美しさに、私は飽かずに眺めていたが、その時汽車は喘ぎ喘ぎ峠をのぼっていた。そして程なく汽車は塩狩駅に着いた。そこには深々と真っ白な雪が積もっていた。駅舎の軒につらなる氷柱は、ガラス細工のように細く鋭かった。寒さが過ぎると、氷柱はかえって太くならない。太い氷柱ができるほどには、屋根の雪が融けないからだ。
その白い深雪の中の道を、角巻を着た女と、二重廻しを着た男が、小走りに走って来るのが見えた。真っ白な雪の中に、赤い角巻が印象的であった。走る女の下駄が、雪を軋ませた。澱粉の上を歩くような、きしきしと軋む、厳寒の雪道特有の音が、車中の私の耳に聞こえた。

雪を真紅に染めて

この若い日の、塩狩峠の霧氷と雪は、私の心の中に、白いひとつの風景として刻み込まれた。それが小説「井戸」に甦ったのである。ちょうどこの頃、私は「塩狩峠」という小説を書いていた。この小説は、約七十年前、塩狩峠において実際に起きた列車事故を扱ったものである。小説の主人公永野信夫という鉄道員は、実在した人物長野政雄氏をモデルとした。
長野政雄氏は明治四十二年二月二十八日夜、この塩狩峠で犠牲の死を遂げた稀に見る立派な人物であった。鉄道員といっても公務中ではなかった。彼は私事旅行中であり、客の一人であった。彼の乗っていた客車が、塩狩峠頂上近くで連結器に故障をきたし、置き去りにされた。いや、置き去りにされただけではない。厳寒のことだ。凍ったレールの上を、その車輌は後ずさりを始めた。
現在の勾配とちがって、塩狩峠の線路は勾配がきつかった。彼の乗っていた客車はたちまち速度を増し、転覆に至らんとした。彼はつるつるに凍ったデッキに飛び出し、ハンドブレーキをまわし始めた。が、ハンドブレーキは故障していたのか、車輌は完全にはとまらない。
彼はついに車輌から線路に飛び降りた。その彼の体を下にして、客車はようやく停止した。
この小説を書くとき、私の胸に甦ったのは、若い日に見たあの純白の雪であり、霧氷であった。あの純白の雪を真紅の血で染めたであろう光景が、私の心を厳粛にした。
白と赤---。命のない雪と、命そのものである血---。私はその不思議なコントラストを思った。

司会:

「それでも明日はくる」、三浦綾子さんご自身の朗読で冬の塩狩峠の一部をお聞きいただきました。

高野さん、十年前の朗読ですが、たいへんお声にも勢いというか元気がありますね。

高野:

そうですね。お話をするときは要点をつかんでぱきぱきときりっとしたお話をされる方ですね。

司会;

代表作の塩狩峠、そしてその前に書かれた短編小説「井戸」の舞台になった塩狩峠の冬の部分を自らエッセイで書かれていますが、三浦綾子さんと北海道というですね風土、これについてちょっと伺っていきたいのですが。非常に北海道を愛された作家といっていいでしょうね。

高野:

そうですね、その具体的なこととして言えば、三浦綾子さんの小説には全部合わせますと北海道の至る所の場所が出てくるわけでして、そういうことから考えても北海道を非常に愛していたということが言えると思いますね。

司会:

天北原野しかり、泥流地帯しかりですね。

高野:

やはり北海道の持っている独特の風土性といいますか、春夏秋冬を通してですねちょっと本州では見られないユニークな季節の感覚とかですね、そこにある風土、そして社会、その中に生きていく人間、そういうものに対する愛着が非常に深かった。だから、旭川にいることが一番好きだと、で旭川が大好きだと、つまり北海道が好きだということなんですね。それから旭川が産んだユーカラ織りなども常に身につけて離さないという、そういう愛着もあったわけです。

司会:

特に赤いユーカラ織りのジャケットは三浦さんのお気に入りで写真にもよく残っていますね。

高野:

やはりですね、ユーカラ織りを北海道のひとつの財産として大切にしたいと、そしてみんなに知ってもらいたいという気持ちがあったんでしょうね。

司会:

そうしますと作品の背景だけでなくて自分自身の拠り所みたいなものに北海道がなっていたのですね。

高野:

そうですね、それはもうはっきりしてますね。 自分のアイデンティティといいますか、そういう自己証明、存在証明、そういうものは北海道が作ってくれたんだと、そういう強い想いがあったんだと思いますね。

司会:

数々の病気も克服していく強靱な精神力・生命力というのもこれやっぱり北海道人の持つ特性といっていいんでしょうか。

高野:

そうでしょうね、やはり三浦さん自身も含めて、また作品に登場する人物たちも含めて、やはり三浦文学の世界を支えていっている背骨みたいなものはやっぱり北海道人特有のねばり強さとかですね、苦しみにうち勝っていく力とかですね、そういうものであるだろうと考えられますね。

司会:

生涯、旭川を離れずに作家活動をなさったんですが、それによるデメリットみたいなものはなかったんですか?

高野:

もちろん、あったと思いますね。それはいわゆる中央の文壇から離れておりましたから、そういった点ではちょっとご不便があったんだろうと思いますけれども。逆にまた東京のマスコミの方たちがいわば旭川の三浦家に、大げさに言えば、殺到する形で地方へ中央を吸収していく、そういうことがやはりありましたんで、それで十分自信を持っておられたんではないかと思います。

司会:

逆に北海道にいて旭川から全国にいろんなメッセージを発信されたと。

高野:

そうですね、やはり「人間はいかに生きるか」というメッセージをですね、北海道旭川の地から全土に向かって発信をし続けていく、そのメッセージの力強さをですね、やはり常に北海道旭川の中で培ったということだろうと思います。

司会:

さあて零時台前半で最愛のご主人の三浦光世さんのすばらしい歌声で、三浦綾子さんも大好きだった赤トンボをお聞きいただきましたが、ここでもう一曲三浦さんの「ふるさとの」というすばらしい曲をお聞きいただきたいと思います。

~ ♪ ♪ ♪ 光世さんの歌が流れる ♪ ♪ ♪ ~

(歌がおわり・・・)

司会:

三浦綾子さんのご主人、三浦光世さんが歌っていらっしゃいます「ふるさとの」をお聞きいただきました。高野さん、三浦光世さんはテノールですよね。

高野:

そうですね。非常にやっぱり古典的な、なんといいますか、きっちりとした歌い方をなさいますね。

司会:

綾子さんご自身も静かな叙情歌とか童謡とかそういう歌がお好きだったんですか?

高野:

そうですね、特に光世さんが歌うのが大好きでしたね。

司会:

そうですかぁ。

(愛は人の徳を建つ)

はい、今日の北海道発ラジオ深夜便1時台は三浦綾子さんのエッセイ集「それでも明日は来る」の中から三浦さんご自身の朗読をお聞きいただいております。続いては「わたくしの好きな言葉 愛は人の徳を建つ」をお聞きいただきましょう。

私の好きな言葉---愛は人の徳を建つ

色紙を求められると私は時にこの言葉を書く。新約聖書コリント人への手紙第八章一節にある言葉である。
(途中略)
何れにせよ、いくら高い知識を持っていても、広く学んでいても、それだけでは思い上がる人間となるが、愛は私たちを向上させるものなのであろう。
(途中略)
たとえば、夫を愛しているつもりで、少しのことで夫を疑い、心を取り乱し、ヒステリックになるとしたら、それは決して己を向上させる愛とは言えない。ましてや相手を向上させる愛ではない。
(途中略)
現代の社会を見ると、親の、特に母親の愛が子供たちを毒している状態がよくわかる。男女間の愛にしても、つまりは肉欲に走り、仕事も学業も手につかなくなる例が珍しくない。
<愛は人の徳を建つ>
この言葉が私たちのものとなるためには、正しい意味での愛が先ず理解されねばならないのではないだろうか。

司会:

「それでも明日は来る」の中から「わたくしの好きな言葉 愛は人の徳を建つ」を三浦綾子さんご自身の朗読でお聞きいただきました。高野さん、この三浦さんと聖書、バイブルというのは切っても切れないものですねぇ。

高野:

え、もうそれはそうですね。三浦光世さんと婚約をなさった時にお互いに聖書を取り交わしてそこにとにかく共に生きていこうということを聖書の表紙の裏に書かれたわけですから、それ以来とにかく聖書はすりきれるほど読んでいらっしゃるわけです。だからまさに聖書と一体になった生活だろうと考えられますね。

司会:

作品の中にもいろいろ聖書の言葉が出てきますね。

高野:

そうですね。塩狩峠の場合には副題みたいな形で「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」と記されていることからも分かるように、やはりバイブルの言葉ひとつひとつが三浦綾子さんの魂の血となり肉となっていたということがはっきりと言えるわけです。

司会:

三浦綾子さん、私の好きな言葉で愛は人の徳を建つという言葉を挙げられましたが、私も三浦さんの大好きな言葉がありまして「帰りこぬ風」の中にありましたこういう言葉なんです。「人間にとって転んだことは恥ずかしいことじゃない。起きあがれないことが恥ずかしいことなのだ」
この言葉を見たときにすごくそうだなぁとなんかこう勇気づけられました。

高野:

僕もこれは大好きな言葉のひとつですね。さらには例えば、ひつじが丘という小説があるんですけれどもその中に、主人公の女性の方に言わせているんですけれども「人間は弱いものだから一生何回も何回も許され続けなければならない存在なんだよ」と言わせているんですね。そういう言葉などもありまして、あらゆる作品の中に非常に心に残る言葉をですね、宝石のように書き記していた方と思いますね

司会:

そういう言葉に読者はずいぶん励まされたり、生きる希望を持たされたり。

高野:

そうですね、それは大きいですね。

(癌告知によって得た心の平安)

司会:

はい。さあ今日は三浦さんご自身による「それでも明日はくる」の朗読をお聞きいただいておりますが最後の朗読になりました。わがガン闘病記の中から癌告知によって得た心の平安をお聞きください。

私は誕生の時、首に臍の緒が巻き付いていて、産声も上げられなかったと聞かされている。そのためか否か、腺病質に育った。一九四六年の春、肺結核を発病し、以来十三年間の療養生活を送った。後半の七年半は、脊椎カリエスも併発して、ギプスベッドに仰臥の生活がつづいた。待っていた三浦と結婚したのは、三十七歳の五月だった。三浦は三十五歳であった。
(途中略)
様々な健康書も読んだ。それによって、どうやら直腸癌らしいと見当がついた。見当がついたあたりで、私は癌を特別視しないように自分自身を戒め始めた。
「癌に罹った者だけが死ぬわけではない。脳溢血でも、交通事故でも、自殺でも、戦争でも人は死ぬ。もし癌だとしても、癌患者だけが死ぬというような、甘ったれた考えは捨てよう」と思った。
(途中略)
やはり癌であった。不思議なもので、癌ではないかとおおよそ見当をつけているつもりだったが、はっきりと癌とわかると、心が定まった。私はそれ以前に、神にとっては風邪を治すことも、癌を治すことも同じことである、と誰かから聞いてうなずくところがあった。神の意志の実現を、いっそう信じようとしたのである。
(途中略)
やがて私は、朝目覚めると、「今日は私の命日だ」と思うようになった。誰にとっても、今日という日は命日になるかも知れないのだ。病気のあるなしに関わらず、世界の幾万の人が今日の夕日も見ずに死んでいくのだ。今元気で笑っている人にも、今後の計画を練っている人にも、病気の人にも健康の人にも、子供にも老人にも、誰にも今日一日の命の保証はないのだと、見に刻みつけるように思い始めた。
さらに私は、癌を特別席から引きずりおろそうと思った。「風邪をひいた」とあっさり言えるように、「癌です」と、あっさり言わねばならぬと思った。家族がひた隠しに隠すそんな苦労を、我が家の場合はなくして欲しかった。こうして我が家では、癌がふつうのこととして語られるようになった。とは言っても、癌の恐ろしさや辛さを、私は決して知らないわけではなかった。

司会:

三浦綾子さんのそれでも明日は来るの中からわがガン闘病記、その中の癌告知によって得た心の平安をご自身の朗読でお聞きいただきました。高野さん、癌も風邪も一緒だというすごい精神力というか、すごいですね。

高野:

そうですね。氷点でデビューしてからですね、その前には十三年間の脊椎カリエス、結核性ですけれども病気で寝ていたわけで、その後氷点で作家として登場した、その後から今度は血小板減少症、心臓病、重い帯状疱疹ですね。

司会:

これは痛いらしいですねぇ

高野:

特に三浦さんの場合は重症のヘルペスであったわけで失明の寸前までいったわけですから大変に重いヘルペスだったわけですね。それから直腸癌、これは手術して直しますけれども、その再発があってそれを粉ミルク療法で克服するということもあって、そういうふうないわば三浦さんご自身が「私は病気のデパートなんだ」とおっしゃっておられたんですけれども。それほど次から次へと病気に襲われ続けた人ですね。しかも重い病気にですね。それを乗り越えてきたわけですね。そして八年前にパーキンソン病という難病にかかってそれから八年間に渡ってやはり闘病を続けるというほんとに力強い、病気を神からの贈り物として考えてですね、それを常に内面化して病気と対話をしながら病気によって自分の魂を豊かに造り上げてゆく、そういう人だったと考えられますね。

司会:

ま、もちろんご主人の三浦光世さんの献身的な・・・

高野:

もうこれは我々にはとってもできないことですね。想像もつかないようないろいろなご苦労をですね、やはり三浦光世さんは何一つ愚痴をこぼさずに、一貫して介護に当たられてきた、その姿というのはやはり非常に感銘を与えるものですね。やはり光世さんの人生観というのがやっぱりものの考え方の確かさというかですね、やはり結婚するときに誓った「愛するか」という問いかけに対して、たぶんこれは神からだと思うのですけれども「愛する」と答えた、その誓いを一貫して自分の妻の綾子さんに捧げて貫き通してきたということが言えると思います。

(リスナーからのお便り)

司会:

なるほどねぇ。そのお二人のほんとに感動的な生き方に共鳴するお便りをたくさんいただいておりますが、今日はほんとにたくさんいただいた中からその一部をご紹介してみたいと思います。

まつだきみこさんというさくらい市からいただきました。

「私は数年前に結核を患いましてその時に三浦綾子さんの道ありきを読みました。その中の綾子さんの恋人の話、前川正さんの綾子さんへの愛の深さ、誠実さ、まじめさに感動しました。今でも読み返すと涙があふれてきます。とともに自分自身を深く反省するのです。私はこんなにも深く誠実に相手を思ったことがあるだろうか。自分は思われること、愛を求めることばかりで前川さんのように深く想い尽くしたことがあるのだろうか。今からでも遅くないのなら残りの人生を夫や家族、孫を愛し抜いて生きようと思うのです。」

まつだきみこさん、さくらい市からのお便りでした。それからこの方は牧師さんです。東京の浜田山の教会ですね。牧師さんをなさっているほそかわかずとしさんという方からお手紙をいただきました。

「私は札幌での牧師時代に何度か三浦さん夫妻に会う機会があり小説ではない生の三浦さん夫妻について忘れられない点があります。第一は夫婦愛です。三浦綾子さんのご主人への幼子のような信頼と尊敬です。ある講演をお願いしたときがありました。講演会場には綾子さんだけで来られホテルでご主人が待っておられました。講演会後、綾子さんがホテルのご主人に電話されたとき横で聞くともなしに耳にしたのは光世さん大丈夫、光世さん、光世さん、ということでした。十年以上前とはいえ、ご夫妻も五十代半ばを過ぎていたかと思いますが、その初々しい愛し合う姿を忘れられません。もうひとつは三浦綾子さんの謙遜です。謙虚さです。お会いして挨拶すると必ず三浦さんの頭が小生の頭よりはるか下にあるのです。今度会ったときは三浦さんの頭より自分の頭の方が下になるように考え試みるのですが、やはり三浦さんの頭が下にあるのです。三、四十代の牧師にも謙虚に接してくれました。三浦さんはキリスト者として口先だけでなく日常生活で夫婦愛と謙虚さを教えてくださったと感謝しているものです。」

もうひとかた紹介しましょう。旭川市のただひろこさんです。

「先生が重体と新聞に報道されたのは9月はじめでした。体調がすぐれないと耳にしていましたがだいぶお悪いと改めて知りました。その頃、同じ病院に私も入院しました。で、なんと先生の病室のお隣だったのです。私は一読者として先生の執筆された本はほとんど読んでいました。また何冊の本は先生直筆のサインをいただき大切にしています。毎日、親族の方が交代で手厚い看護をなさっていました。私などは静かにしているばかりでなんとか快復していただきたいと隣の病室でささやかなお祈りをしていました。多くの方々も私と同じ気持ちだったと思います。日が経つうちにだんだんと人の出入りが少なくなってきたので小康状態だったと思っていました。10月の10日過ぎ、一般患者は寝入りに休まる頃、隣室が騒々しくなるように思いました。その時が最後のお別れだったのですね。一瞬寂しく悲しくなりましたが、ご主人様はじめ親族の方々の深い祈りのうちに天国に行かれたと確信し、多くの病と闘われた先生は今度は天国から私どもに信ずる神の教えを贈ってくださるに違いありません。心よりご冥福をお祈りいたします。」

ほんとに大勢の方々からお手紙をいただきました。こうして数々の病と不屈の精神力と強い信仰で乗り越えられてきた三浦さん、今年十月十二日、七十七歳で天に召されました。心からご冥福をお祈りいたします。今日の北海道発ラジオ深夜便午前0時台1時台は札幌のスタジオに文芸評論家で三浦綾子記念文学館館長の高野斗志美さんをお招きして、「北の文学作家三浦綾子さんを語る」をお送りして参りました。高野さん深夜長時間にわたりどうもありがとうございました。

高野:

こちらこそありがとうございました。

司会:

それでは最後に綾子さんのご主人光世さんのお歌いになっている賛美歌405番「神ともにいまして」を聞きながら改めて三浦綾子さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

(光世さんの歌が流れて番組は終了です。)

2001-09-08 Update

三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編

番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編

ここでは三浦綾子さんに関連するテレビ番組あるいはラジオ番組などに関する情報を提供していきます。

まずその1として、1999年12月25日にNHK(ラジオ)で放送された「ラジオ深夜便『北の文学・作家三浦綾子さんを語る』」の放送を書き起こしてみました。二時間番組でしたが、まずは前半一時間分を「前編」としてお送りします。

この放送のゲストとして三浦綾子さんを語っているのは三浦綾子記念文学館の館長でもある文芸評論家の高野斗志美さんです。(三浦さんの本の後についている解説などたくさん書かれているので名前を見かけたことある人は多いと思います。)

 

1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より

ゲスト:高野斗志美さん

司会:

今年10月12日に亡くなられた旭川市出身の作家・三浦綾子さんの人となりと作品、それを産んだ北海道の風土などについてお話ししていただきます。

スタジオには文芸評論家で三浦綾子記念文学館館長の高野としみさんにお越しいただきました。

高野さんよろしくお願いします。

高野:

よろしくお願いいたしします。

(三浦綾子記念文学館について)

司会:

高野さんが館長を務めていらっしゃいます三浦綾子記念文学館、去年の6月にオープンしたんですねぇ

高野:

そうですね、去年の6月13日に旭川にあります神楽の外国樹種見本林の中にできました。

これは全国から一万五千人を超える市民の方たちが力を合わせまして、旭川を中心にしまして、そういう市民運動の力を結集してできあがった民立、民営の文学館でございまして、三浦綾子さんの仕事を末永くお伝えしたいということでできあがりました。

司会:

あの、いまお話にありました見本林というのは「氷点」の舞台になったところですね

高野:

そうですね、特に氷点のラストシーンにあります陽子が自殺を図った、美瑛川を後ろに控えました大変に印象深い風景をもった土地ですね。

司会:

この場所にそういう記念文学館ができましたことは三浦綾子さんご自身も大変喜ばれたでしょうね。

高野:

ええそうですね。そしてどうかもう一度みなさんがこの文学館に足を運んでくれるように、そういうふうにもう一度来てみたい、そう思うような文学館にして欲しいと、切に願うとおっしゃっておられましたね。

司会:

その去年の6月のオープンの際はご自身も参加されたんですね

高野:

そうですね。光世さんに支えられですね、お亡くなりになられましたけども秘書の八柳洋子さんという方がおられるのですけれども、その(二人に)両側を支えられまして、元気にとってもうれしそうにオープニングセレモニーに出られたことをありありと思い出します。

(三浦綾子さんの足跡~作家になる以前)

司会:

あぁそうですか。長い闘病生活のすえに今年の10月12日に77歳の生涯を閉じられた三浦綾子さんですが、その三浦さんの足跡をたどっていきたいと思います。

まず作家になる前の三浦さんのお話からうかがいたいと思います。

高野:

あの~、三浦さんの場合は、お話しするときはいつも私、言うんですけれども四つの自伝小説があるんですね。

小さな頃を書いたのが「草のうた」という自伝小説です。それから小学校を終えてですね女学校を出てそして学校の先生になってそして敗戦を迎えるというその足取りを描いたものが「石ころのうた」という自伝小説ですね。それから1945年から氷点という小説で文学界にデビューするまでの足取りを書いたものが「道ありき」という自伝小説ですね。氷点で出発した以後の、結婚生活を描いたのが「この土に器をも」という自伝小説ですね。

それをもとにしてご紹介をしたいと思うんですけれども。

司会:

はい

高野:

三浦綾子さんにとって大きなターニングポイントというのはひとつには1945年8月15日の日本の敗戦ということですね。

これはあの、三浦綾子さん、堀田綾子さんと当時は呼ばれていましたが、学校の先生、教師をしておりましてその教師の間というのはいわゆる戦争中でしたのでたいへん一生懸命に、熱心に子供を教えていく非常に教育熱心な先生だったわけですね。子供が大好きだったという、そういう先生です。そしてあのその考え方というのは当時の日本人がすべてそうであったように、国家の行う戦争というのは正しくて清い戦争だという、つまり聖戦であると信じ込んでいたわけですね。(他の)日本人と同じように堀田綾子先生も日本の国柄、天皇を中心とする絶対主義、軍国主義をですね、そういう国のありかたに疑いを持たないで一生懸命に子供たちを教えてきたわけですね。

そういう価値観が全部壊れてしまうのが1945年の敗戦というわけだったのです。その時に受けたショックというのが非常に大きいわけですね。そのために今までの自分の生活やあり方に根本的な疑問を持つわけです。

そしてこれ以上先生を続けることはできない、とそう思って1946年、昭和21年3月をもって学校の先生を辞める、これは旭川の小学校でしたけれども、やめるわけです。 その後の堀田綾子さんの足取りは非常に荒れたものになるわけです。

司会:

ほう

高野:

自分が信じた国家権力に裏切られたと、この絶望感というのは取り返しがつかない、どんな力によっても癒えることはできない。そういう自分というのが信じられないと大変に苦しむわけです。毎日毎日荒れはてた生活を続けていく。その間に結核という病気にかかり、そして療養生活に入るわけです。

その前に現れたのが幼なじみの前川正という人なんです。 この人が非常にそういう失意と絶望と荒れ果てた生活を送っている堀田綾子さんを心配するわけです、小さな頃から知っていましたから。 この方もやっぱり結核でもって札幌にいたんですけれども北海道大学医学部を休学して旭川に療養のために帰ってきていたわけです。

で、たまたまそういうことで二人は出会うわけです。そして病気の体をお互いに持ちながら交渉が始まるわけですが、今言ったように非常に堀田綾子さんのことを心配する、そして有名な話があるんですけれども、これは「道ありき」ですね、旭川に春光台というところがあるんですけれども、その丘のところを二人で歩いていたときに、やはり堀田綾子がですねまじめな態度をとらないと、その時に前川正さんが急に草の中に座り込んで傍らの石をつかんで、自分の足を強く打つわけです。そのことによって堀田綾子さんは非常に驚くわけです。

(途中臨時ニュースで中断後、再開)

司会:

高野さん、先ほど三浦綾子さんを前川正さんがいさめたというお話、そこまでうかがいました。その後三浦さんはどういう経過をたどるのでしょうか。

高野:

その時ですね、はじめて堀田綾子さんの心にかすかであるけれども立ち直る希望の光が見えてくるわけです。

そして前川さんと一緒に札幌へ行き、札幌医大で診察を受けたところがはじめて病気の大きな原因であったものがはっきりするわけです。 その結果、脊椎カリエスであることが判明するわけです。そして直ちに病院では絶対安静を命じるわけです。そしてあの、ギプスを全身にかけてベッドに寝たっきりになるわけです。ですからいわば、昭和21年の発病から始まった13年間の闘病生活がそこで本格的に始まるわけです。

その時に堀田綾子さんははじめて自分の心が安らかになったということを感じるわけです。そして直ちに病床に牧師さんをお招きして、そしてキリスト教へ向かうつまり受洗をする、病床で受洗をされキリスト者になっていくわけです。そしてやっと魂の組立というのがそこでできて、新しい希望がそこに生まれるわけです。

ところが、それは昭和27年なんですけれども、昭和29年になりまして自分を導いてくれた前川正さんがですね、やはり同じ肺結核でしたが手術の失敗で急にお亡くなりになるのです。 それで非常なショックをまた受けてですね、一年間ほどはほとんど誰にも会わないで闘病生活を続けたわけです。

その前に現れたのが、不思議なご縁としかいいようがないのですが、非常に前川正さんと姿、形、声、ものの考え方が似ておられる一人の男性、つまり今の三浦光世さんがお見舞いに訪れることになるわけです。

そして非常に前川さんに強く心を残しながらも実際にいろいろな話し合いをしていく中で光世さんに心を惹かれていきまして、結婚しようというふうに決心していくわけです。光世さんの方はですね、「いや、今あなたがここにいるのは前川さんのおかげなんだと、その前川さんのそういうお力を大事にするための私たちは深く愛し合って共に手を携えて生きていこうではないか」と、こういうふうに言うわけです。

で、前川さんもクリスチャンでありましたし、また三浦光世さんも同じくクリスチャンであったわけですね、バイブルの上にお互いの手を重ねるようにして愛を深めていって昭和三十四年にお二人は結婚をなさる、そういう足取りをとるわけです。

今までお話をしたように戦後のいわば三浦綾子さんにとってのポスト戦後、そういう生活をずっと綴ったものが、これは昭和三十八年に主婦の友に発表された「太陽は再び没せず」という手記なんですよね。これが昭和三十八年の新年号に発表されますと全国から「非常に感動した」というメッセージがたくさん届くわけですね。それを見てですね、もうすでに三浦綾子さんになってますけれども、三浦綾子さんは「大衆が読む雑誌に、ものを書くということの大切さをこれほど痛感したことはないと、もし今後こういう機会が与えられるならば、才能はないけれども私はできる限りこの機会を活用したいと、やはりものを書いてみたい」と、そういうふうに言うわけです。

そういう準備があって初めて氷点を書いていく心の用意ができるわけです。そして昭和三十八年いっぱいかかって氷点を書きましてこれを朝日新聞社に送る、いわゆる一千万円の懸賞新聞小説ということになって、これが昭和三十九年(1964年)に入選して文学界にデビューを果たすと、こういう足取りがあったということができると思います。

(三浦綾子さんの足跡~作家としての三浦綾子)

司会:

はい、そして作家になられた三浦綾子さんのお話をこれから伺って参りたいと思いますがひとことで言うと三浦さんはどういう作家ということができますか

高野:

そうですね、三浦綾子さんをもし一口でいえばどういう作家といえば、やはり庶民の立場に立ってそれを一貫させながら、人間はいかに生きていくべきなのか、ということをですね骨太に問いかけた作家であるというふうに言うことができると思うのです。

デビュー作は氷点ですけれども、氷点のところではいわゆる人間の自己中心的な生き方ということを問題にしているわけです。主人公は陽子という少女になるわけですけれどもその陽子を中心にしましていわゆる陽子の家庭の中で起きる、夫と妻の自己中心的な生き方がどれだけ他人を傷つけそして自分自身をも亡ぼしていくということ、それが的を外れた生き方ということになるんだということを描いた非常に力のこもった物語になるわけです。その中で陽子が感じていくのは、罪が無いというふうに思っている人間も自己中心で自分が正しいと思いこんでいる限りはいつかは罪を犯す可能性を持っているのだということを感じるのです。それが「原罪」ということになるわけです。 その他にそういう原罪というのを三浦綾子さんは「的を外れた生き方」と言っていますね。

あるいは今度は次に「ひつじが丘」というのを書きまして、「塩狩峠」に入りますけれども「塩狩峠」では他人のためにいかに愛を捧げ尽くすことができるか、という問題、つまり愛ということが人間にとってどれほど大切なのかということを塩狩峠で明らかにした。これは翻訳されたものの中でも一番読まれている作品でして非常に多くの人たちに感動を与えているということがあります。

司会:

主人公の長野信夫さんというのは実際に長野政雄さんという方がいらっしゃったそうですね。

高野:

そうですね。これは明治の話になるわけですがそれを現在の、いわば私たちが生きる現在に重ねて描ききった名作のひとつであろうと考えられます。

そのほかには最後、晩年になりまして「銃口」というのがありましてこれは昭和を生きた庶民の歴史を物語っているものでして、具体的には北海道綴り方教育連盟事件という実際にあった事件をモデルにして書き上げた物語ですね。

(再度、臨時ニュースで中断後、再開)

司会:

高野さん、先ほど銃口のお話までうかがったのですがこの銃口というのは三浦さんにとって敗戦の経験とつながる社会に対するメッセージでもあったわけですね

高野:

そうですね、いかに生きるかという場合に三浦綾子さんは自分自身どういきるかということと、他人に対してどう生きるかということと、それから社会に対して人間はどう生きるべきなのかということを考えるわけですけれども、「銃口」というのは日本人と社会、日本と日本の歴史・昭和という関係を非常に深く追求した作品が銃口であると思います。

一貫して三浦さんの作品はいかに生きるかを自分自身に問い、他人に向かってさらに問い、そして社会に向かっても問い続けていくという非常に骨太なテーマをもった作家であったということが言えるのでありまして、この方が早々とお亡くなりになったということは非常に残念であるし、ご本人もやはりもう少し書きたかったなと思っておられると思いますけれども。

(三浦綾子さんの足跡~夫・三浦光世さんのこと)

司会:

作家としての三浦綾子のお話を伺ってきましたが、この三浦綾子さんを支えたご主人の光世さん、この光世さんとの二人三脚というのも大変仲のよいご夫婦であったんですね。

高野:

そうですね、結婚をする時から男性は女性を対等の人格者として認め、女性の方も男性を自分と対等の人格者と認め、その上で人間としての愛を紡いでいくのだという、そういう確固たる信念の下で二人は結ばれているということがあります。

そして塩狩峠という小説の半ばからすでに夫の三浦光世さんがですね、綾子さんのために口述筆記を始めておられるんですね。 ですから初期から口述筆記をずっとやっておられてわけで、それが最後まで続くわけですから大変なことで、これは文学的なことを言えば、コラボレーションといって、共同作業ですけれども、特にそういった点では三浦光世さんは三浦綾子さんの最もよき共同者であったということが言えると思います。松本清張さんが驚いたほどの口述筆記で・・・

司会:

絶妙の呼吸だったそうですね お二人はいつも一緒で、散歩それから意外だったのですがカラオケもお好きだったようですね

高野:

そうですね三浦綾子さんというのは先ほど言いましたようにいかに生きるかを骨太に問うということでですね、世間では大変お堅い人間のように思われているようですけれども、しかし一面、非常に茶目っ気がありましてカラオケが特に歌が好きで、踊るのが好き、非常に茶目っ気があって、ユーモアがあってとっても人間的な側面というのを豊かに持っておられた方ですよね。

最近のことになるのですが、北海道開発功労賞をもらった時に、そのパーティーで札幌にいる作家の小檜山ひろしさんの奥さんに急に歌を歌えということで、それで歌を歌ったんですけれども、まあカラオケですけれども、これはこの種の公のパーティーでは初めての出来事であったようです。そんなふうな茶目っ気たっぷりなところがあってですね、みんなを笑わせるということですね。

司会:

高野さんも歌わされたことがあったんじゃないですか

高野:

そうですね、僕も何回か注文されまして下手くそな歌を歌って笑われたことがありましたけどもねぇ

司会:

お二人はそして結婚直後から毎年欠かさずこの時期に子供クリスマス、近所の子供たちを自宅に招いてクリスマスの会を開かれていました。今年は12月27日に光世さんおひとりになってしまいましたけど自宅で開かれるそうですね。

高野:

そうですね、その準備に取りかかっていると思いますけれども。いつも光世さんがサンタクロースになりまして、たくさん子供たちが集まるんですよ、そして子供さんたちみんなにプレゼントするわけですけれども、今年も同じように今はない綾子と一緒に心を合わせるような形できっとおやりになるだろうと思います。

司会:

あぁそうですか。

さあそれではここで、三浦綾子さんが大好きだった「赤とんぼ」をですね最愛のご主人、光世さんの歌でお聞きいただきたいと思います。

(しばし、光世さんが歌う「赤とんぼ」が流れる・・・ そして、歌が終わり)

司会:

高野さん、光世さんご自身の歌ですが、すばらしい声ですねぇ

高野:

はい、光世さんの声には定評がありまして、この赤とんぼは十月二十五日の旭川市民による作家三浦綾子さんを偲ぶ会でもってですね、一番最後に光世さんが、綾子さんが好きだったということでこの歌を、まず一番を歌いあとは全員でもって合唱してですね、でお送りしたというそういういわくもあります。

司会:

あぁそうですか。めったにきけない三浦綾子さんのご主人・三浦光世さんの歌で、綾子さんが大好きだった赤とんぼをお聞きいただきました。

(以上で前半の放送が終わりました。後編をお楽しみに)

2001-06-24Update

三浦綾子入門 6.文学館へ行こう!

6.文学館へ行こう!

1998年6月13日に開館した”三浦綾子記念文学館”。三浦綾子ファンにとっては聖地ともいうべき場所。その文学館は三浦綾子さんが一生を過ごした旭川の地にあります。

このコーナーでは、”三浦綾子記念文学館”(以下、文学館と略す)について特集します。

場所

文学館は旭川市神楽の外国樹種見本林の中にあります。見本林といえば、小説”氷点”の舞台となった場所です。この見本林を抜けると小説の中で陽子が自殺を図った美瑛川のほとりに出ます。

アクセス
JR旭川駅から車で10分程度(タクシーで800円~1000円)
旭川中心部より10分程度 神楽農協駅前下車

※駅から歩いても40~50分ぐらいで着くと思います(経験談)。雪がない頃なら自転車も気持ちよさそう。

文学館手前に文学碑

没後一周年にあたり、三浦綾子文学碑を建立。除幕式は2000年10月12日(綾子さんの命日)に行われた。この除幕式に関してはコッコさんのソンシアの家にて詳しく報告されているのでご参考に。「文学碑除幕式に参加して

<ひかりと愛といのち>をテーマに

館内はテーマごとに五つの常設展示室に分かれ、三浦綾子さんの著作、原稿(コピー)やビデオなどが見ることができる視聴覚室の他、喫茶室もありゆっくりとできる空間です。その他、入り口入ってすぐのミュージアムショップでは関連グッズを購入することができます。

個人的にはBGMがとても素敵だと感じました。そんなに広い建物ではないのですが、なんか遠くの方から聞こえてくる感じがとても心地よい音に聞こえました。

第一展示室 <三浦文学のすべて>

”すべて”と題しただけあり、三浦綾子さんの著作が年表と合わせてずらりと並んでいます。翻訳本の多さに驚くかと思います。これだけ海外で翻訳されている日本の作家はそうそうはいないのではと思うほどです。

第二展示室 <作家への道のり>

ここでは三浦綾子さん誕生から氷点で世に出る前までの期間がまとめられています。教師生活の模様や前川正さんとの出会いなど。

個人的に目が止まったのは学生時代の作文です。学生時代にしてこの文章力!と本当に驚きました。内容は幕末の大老井伊直弼に関するもので皇国思想が強く感じられ時代を感じさせてしまいますが、これが本当に作文かという印象を受けました。

第三展示室 <『氷点の世界』>

出世作となった「氷点」に関してまとめられた部屋です。各種の原稿(下書き、応募用、新聞連載用)があり、必見の一室です。また、綾子さん著作の中で一番多くテレビドラマ化、映画化されたのは氷点であり、なんと七度も映像化されているのです。その歴代の陽子役、夏枝役の女優さんの名が並んでいたり、また氷点の各登場人物ごとの年表らしきものがあったりいろいろと楽しめます(この年表らしきものはハートのしみでも作成してみたいと思っています)。

第四展示室 <ゆたかな作品群>

塩狩峠、母、銃口などの小説を書く上での取材活動の一端を知ることができます。何冊もある分厚い取材ノートを見ると、これだけ綿密に準備してから書いていたのかぁと素直に感動しました。

第五展示室 <共に歩んで>

三浦文学においては欠かせない存在の夫・光世さん。光世さんとの共同作業のいったんを知ることができる一室です。

ここではなんと言っても書斎の写真が一番印象的でした。近藤多美子さん撮影の写真とのことですが、一瞬目がくらくらする感じの写真ですが、本当に綾子さん、光世さんのいる書斎におじゃましているような感覚になる不思議な一枚です。

視聴覚室

三浦綾子さんの著作が多数置かれている他、講演会やラジオ放送を録音したカセットテープや映画、ドラマなどのビデオテープが置いてあり自由に閲覧することができます。

その他、点字の作品や氷点などの原稿のコピーなどもあります。原稿のコピーは直に手にとって読むことができるので、時間があれば出版物と較べて読んでみるのもいいかもしれません。

見本林

文学館へ行ったら、見本林を散歩されることをお薦めします。さすがに雪深い季節は歩ける範囲が限られますが、雪がない季節ならば堤防を越えて美瑛川まで出てみてもいいでしょう。この見本林にはストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツ、ヨーロッパトウヒなど約50種あまりもの樹木が植えられており、雰囲気もいい感じです。

また、私は見かけることができませんでしたが、キタキツネの4匹家族の他、リスもいるということです。

賛助会員

三浦綾子記念文学館は全国の三浦ファンの募金によりつくられ、ボランティア団体の「おだまき会」による協力といった市民の手により運営されていく文学館です。

そして、運営に要する費用は賛助会員による賛助会費によりまかなわれています。賛助会員は常時受け付けているようです。参考までに年会費、会員特典も記しておきます。

年会費
(個人会員)一口 二千円 一口以上
(法人会員)一口 二万円 一口以上
(団体会員)一口 五万円 一口以上
※口数の制限はありません。

会員特典
・文学館の入館料無料
・三浦綾子記念文学館 館報「みほんりん」の送付
・ 各種イベントの案内

会費納入方法については郵便振込と銀行振込がありますが、詳細は文学館事務局(電話番号0166-69-2626)にお問い合わせください。

三浦綾子記念文学館
財団法人三浦綾子記念文化財団
〒070-8007 旭川市神楽見本林
TEL 0166-69-2626 FAX 0166-69-2611
URL http://www.hyouten.com/

2001-09-08 Add
2010-01-10 Update

2010年1月 4日

三浦綾子入門 5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界

5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界

ここでは三浦綾子さんの世界を映像(ドラマや映画などのビデオ)や音声(ラジオ、テープ)で楽しめるものを紹介したいと思います。もちろんここに挙がっているのが全てではありません。他にもたくさんあるようですが、私が見たこと、聞いたことあるものを中心にしてここでは紹介していきます。

映画編

映画化されたのは4作品、テレビでドラマ化されたのは27作品にもなります。また、その他テレビ等での特集番組などを加えると相当な数になるでしょう。ここではビデオ化されているものを中心に紹介します。

「氷点」 1966/03/26~ 大映映画

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出演:陽子(安田道代(現・大楠道代)) / 夏枝(若尾文子) / 啓造(船越英二) / 徹(山本圭) / 辰子(森光子) / 北原(津川雅彦) / 村井(成田三樹夫)

映画「氷点」(DVD)を購入されたい方はこちら。

映画「氷点」評:悪くはないが、コンパクトにまとまりすぎの感がなくもない。原作を読んでから見た方がよい。

映画 「塩狩峠」

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監督 中村登

脚本 楠田芳子

出演:中野誠也、新克利、永井智雄、近藤洋介、佐藤オリエ、長谷川哲夫、滝田裕介、岩崎加根子

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

塩狩峠(DVD)

映画「塩狩峠」評:クライマックス直前の場面から始まり、それから過去に話が飛び、徐々に盛り上がっていく感じはとてもよい。ただ原作以上に宗教くさい気がした。

映画 「海嶺」

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制作:長島清・中條宏行

脚本:貞永方久・緒川浩一

松竹、ワールド・ワイド映画提携作品

出演:西郷輝彦、竹下景子、井上純一、あおい輝彦、ジョニー・キャッシュ、火野正平、松本秀人、東野栄治郎、米倉斉加年、田村高廣

映画「海嶺」評:”国っていったいなんなんやぁ~”という台詞が妙に頭に残る。漂流中の場面はかなり省略されている。

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

海嶺(DVD)

テレビ編

連続ドラマ 「氷点」 1966/01/30~04/24放送 NET-HBC

イチ押し!

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陽子(内藤洋子) / 夏枝(新珠三千代) / 啓造(芦田伸介) / 徹(岸田森) / 辰子(市原悦子) / 北原(井上紀明)村井(田村高広) / 松崎(中真千子) / 高木(北村和夫)

ドラマ「氷点」評:ドラマ化、映画化された中で一番秀逸な作品。ものすごく感じが出ていて雰囲気バッチリ。私の中の氷点のイメージとぴったりきた作品。

ドラマ「氷点」全6巻セット(品薄かも。。。)

ドラマ「氷点」 1989/04/06、07放送 テレビ朝日、HTB

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脚本 井沢満
演出:大野木直之
テーマ曲 玉置浩二 「氷点」作詞:並河祥太 作曲:玉置浩二 編曲:星勝
音楽:福井崚

出演:辻口陽子 万里洋子 / 辻口夏枝 いしだあゆみ / 辻口啓造 津川雅彦 / 辻口徹 野村宏伸

/ 村井靖夫 世良公則 / 高木雄一郎 上條恒彦 / 松崎由香 高橋ひとみ / 藤尾辰子 泉ピン子

ドラマ「銃口」 NHK-BS

脚本 ・・・ 布勢博一
演出 ・・・ 高橋一郎

出演 : 北森竜太 (畠中 洋) / 中原芳子(有森也実) / 坂部久哉 (永島敏行 ) / 森政太郎 (杉浦直樹) / 沖島先生(香川照之) / 沢本校長 (すまけい)

旭川の三浦綾子記念文学館の視聴覚室にテレビ放映を収録したビデオテープがあった。(未見)

知ってるつもり「生きる勇気を詠った作家三浦綾子」2000/04/30放送 日本テレビ

知ってるつもりで三浦綾子さんの特集があった。貴重な写真やビデオなどを織り交ぜながら綾子さんの一生を紹介。主な話は下記の通り。

・誕生から幼少時代の話
・教師時代の話
・敗戦、そして闘病時代。前川正さんとの出会い
・夫・三浦光世さんとの出会い
・三浦商店時代の話
・小説「氷点」の執筆、懸賞当選。
・氷点読者の少女が自殺した話。
・数々の病気との闘い
・星野富弘さんとの出会い

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コメンテーターとして高野斗志美さん(三浦綾子記念文学館館長、文芸評論家)や大空真弓さん(三浦綾子原作のドラマ「羽音」や「積木の箱」に出演。三浦夫妻とも親しい)も出演。

舞台編

・「母」

前進座による舞台化。残念ながらすでに公演は終了している。

ビデオ編(講演会など)

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・むなしさの果てに

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

むなしさの果てに(VHS)

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・三浦綾子夫妻講演 - 愛すること信じること

1987年5月23日青山学院大学講堂における講演会の模様が収録されている。

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

三浦綾子夫妻講演 (VHS)

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・祈りと執筆の日々

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

祈りと執筆の日々(VHS)

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・特選 三浦綾子の家庭論

1971年から72年にかけてHBCにてテレビ放映されていた幻のテレビエッセイを収録。全17話。

交通事故に思う
母が母であると感ずるとき
夫婦のラブレター
ほほえみ
愛の小箱
二人でわかちあいましょう
家族をほめよう
おいしい味の秘密
道ありき
右の手のなすことを左の手に知らすな
あなた方は世の光である
ふみ出す一歩が道をつくる
人にあげる何物もない人はこの世にいない
愛は取引ではない
舌を制するものは全身を制する
欲がはらんで罪を生む
風を警戒するものは種をまかない

北海道放送(HBC)より2400円にてビデオが発売されている。

写真編

・三浦綾子-文学アルバム

旭川や三浦綾子さんゆかりの北海道各地の写真のほか、写真でつづる半生や、評伝・三浦綾子がみどころ。

・写真集 遙かなる三浦綾子(撮影 近藤多美子)

とにかく三浦綾子さんがいっぱい。

・祈りの風景(写真 児島昭雄)

児島昭雄さん撮影の風景写真と三浦綾子さんのメッセージがセットになった一冊。三浦綾子さんの言葉を読みながらきれいな写真を眺め、そのイメージを膨らませ、いろいろと考えると楽しい。

・綾子・大雪に抱かれて

小説などの作品の背景となった地の風景写真が多数ある。小説の場面を想像しながら見ると楽しい。

・三浦綾子 愛の歌集 いとしい時間

歌集だが、ふんだんに写真が掲載されているのでここに含めてみた。風景写真とともに三浦綾子さんの若かりし頃、教師時代から新婚時代を中心にモノクロな写真が多数ある。

ラジオ編(カセットテープ含む)

・ラジオ深夜便(1999年12月25日放送) 北の文学・作家三浦綾子さんを語る

1999年12月25日NHKラジオで放送された三浦綾子さん追悼番組は当サイトの三浦綾子入門の番外編にて詳細にレポートしていますのでご参考に。

・ラジオ深夜便(NHKカセット) カセット文庫4 1400円(税抜き)

A面 : 三浦綾子 わたしの道
(初回放送 昭和58年7月3日 教育テレビ「こころの時代」)

教師として迎えた敗戦のショック。
虚無と病の中に訪れた、運命的な出会いが、キリスト者としての道をきめることになった・・・。 聞き手:金光寿郎

B面 : 三浦綾子/三浦光世 神に愛されて
(初回放送 平成6年12月24日 ラジオ深夜便「こころの時代」)

数々の重い病にもかかわらず、深い安らぎの日々、という。そのつよい心を支える信仰とは・・・。共に生きる夫妻が語る 聞き手:金光寿郎

2006-07-24 Update

三浦綾子入門 4.はまションのお薦めはこれ!

4.はまションのお薦めはこれ!

3.代表作では一般的に三浦綾子さんの代表作と呼ばれるものという観点を重視して選択してみました。

この4.では、まったく個人的な趣味・好みから何作か紹介したいと思います。もちろん代表作と重なるものもあるのですが、ここではあえて3.代表作と重複するものは省き、それ以外の作品を紹介します。

 

三浦綾子さんの考え方や主張したかったことを理解するには、私は小説よりもエッセイの方が適していると思います。それは、小説の場合、ストーリーの展開上いろいろな枝葉がつきます。これは余計なものというわけではなく、味わい深い作品にするためには必要不可欠なものです。しかし、エッセイではそういった枝葉がそぎ落とされ、三浦さんの主張がぎっしりと凝縮されたものになっている印象を私は持っています。

そして、一生の宝となる言葉がたくさんきらめいています。もちろん小説にないわけではありませんが、エッセイの場合、テーマがはっきりしているため、その意味するところが分かりやすいといえます。

わかりやすいと言えば、三浦さんのエッセイはとても分かりやすく、まるで三浦さんが自分に語りかけているような気にさせます。これは三浦さんの創作形態が口述筆記だったということにも由来するのかもしれません。

とてもわかりやすいのですが、その一編一編をゆっくりと読むのが好きです。

みなさんもたまにはのんびりとした気持ちで本を読んでみてはいかがでしょうか。

それでは私のお薦め作品を紹介します。

 

明日のあなたへ 愛するとは許すこと

asunoanatahe

私の中で一番好きなエッセイがこの一冊です。毎年一回は読むので、5,6回は繰り返しよんでいるのではないでしょうか。

この「明日のあなたへ」を最初に読んだとき、冒頭の言葉でガツンとやられた気がしました。

九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。

この一文を目にしてからこの一冊を手放せなくなりました。ちょっと心が後ろ向きになったとき、この本を手に取ると気がとても楽になり、前向きになれるのです。そして、肩の力が抜け、すっと普通に正面を向いて歩いて行けるのです。文庫本の帯に「どんな時にも未来はある」というのを本当に信じられる気にさせる一冊です。

太陽はいつも雲の上に 私たちを支えた言葉

taiyou

この一冊は、夫・三浦光世さんとの共著ですが、三浦夫妻が名言、格言、諺などを紹介し、その言葉にまつわる話、想いを綴った一冊です。

とても有名な言葉の他、まったく聞いたこともない言葉もありますが、ほう、こういう考え方もあるのかと感心しきりで読んだ一冊です。この本でたくさんの言葉が紹介されていますが、その中でも特に私のお気に入りの言葉のいくつかをここで紹介します。

傷痍なき人生は恥

感動できない人生は常に荒野である

希望は失望に終わらない

雲の上にいつも太陽は輝いている

これらの意味するところは、是非、自ら本を手にとって味わってください。

イエス・キリストの生涯

iesukirisutonoshougai

これは他の作品と比較すると異質なものかもしれません。内容が異質というわけではなく、ビジュアル面で。というのもカラーの挿し絵が半分近くを占めているからです。

いわゆる宗教画を紹介しながら、イエス・キリストの生涯を綴っていく一冊なのですが、とてもわかりやすく書いてあるので美術館へ行く前にこの一冊で勉強しておくと絵画の楽しみが増えるのではないでしょうか。

この一冊は三浦さんのエッセイも楽しめるだけでなく、絵画も楽しめる一冊です。

2000/02/21Update

三浦綾子入門 3.三浦綾子の代表作

3.三浦綾子の代表作

三浦綾子さんは80作以上の作品を世に送り出していますが、その中から代表作と思われる5作品を簡単に紹介していきます。

三浦綾子さんの作品を読んだことがない方は、まず、以下の5作品のどれかから読み始めるとよろしいのではないでしょうか。

氷点 塩狩峠 道ありき ひつじが丘 泥流地帯

代表作の紹介

・氷点

hyouten

「自分の娘を殺した殺人犯の娘を育てる」というショッキングな設定な小説です。この小説のテーマになっているのは「原罪」。原罪の意味を広辞苑で調べると、「アダムが神命に背いて犯した人類最初の罪。人間はアダムの子孫として生まれながらに原罪を負うものと考えられる。宿罪。」とあります。どんなに誠実に生きている人、正義の人であっても、人間は罪を犯さずには生きられないということを訴えた作品。

設定が設定だけに現実のこととは思いがたいかもしれませんが、登場人物たちの想いと同じような想いが自分の心の中に生じるかもしれないし、登場人物たちの行為と同じような行為を自分もしかねないんだと、自分にも起きかねない、いや、起きるのだという気持ちで読まれるとよいのではないでしょうか。

・塩狩峠

siokaritouge

自らの命を賭して、大勢の人の命を救ったという実話に基づく小説です。なんといってもクライマックスは小説最後の方の鉄道事故の場面。そのクライマックスへ向けどんどん引きつけられ、そのクライマックスは涙なしでは読めないのではないでしょうか。

感涙することの多い三浦作品の中でもその1,2を争うのではないかと思います。一度も三浦作品を読んだことがない人は最初にこの「塩狩峠」を読むのが入りやすいのではないかと思います。かくいう私も最初に読んだのはこの塩狩峠です。

・道ありき

mitiariki

三浦綾子さんの青春の日々を綴った自伝です。三浦綾子さんは13年にも及ぶ入院生活を送った経験があるのですが、その大変な日々を過ごしていた頃の自伝です。

この道ありきは「前川正」さんの存在抜きには語れません。三浦綾子さん自身にとっても前川正さん抜きには三浦綾子さんの人生はなかったのではないでしょうか。こんな人がいるのかと俄には信じがたいような前川正さんですが、前川さんを知る人にすると、現実の前川さんはもっとすごかったそうです。どんなにすごいのかは読んでのお楽しみ。

きっと勇気を与えられることでしょう。

・ひつじが丘

hitujigaoka

愛するってどういうことなんだろう、とたまには真面目に考えてみませんか。そのような時にお薦めなのがこの作品です。

この作品の中で三浦さんは登場人物に「愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ」、「愛するとはね、相手を生かすことですよ」と語らせます。これがこの作品の中で三浦さんが言いたかったことでもあり、三浦さん自身の言葉でもあるのでしょう。

「自分に忠実に生きる」という言葉があり、割とそのような生き方がもてはやされたりしますが、自分に忠実とはどういうことなのでしょうか。自分の気持ちに忠実に生きることだけが忠実といえるのでしょうか。人には気持ちがある以上、それを無視した生き方はギスギスしたものになってしまいますが、気持ちだけでなく、自分の意志や理性というものをもっと尊重した生き方はできないのか、と。このようなことも考えさせられる作品です。

・泥流地帯

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十勝岳の大噴火のときの話をベースにした小説です。主人公たちに次から次へと災難がふりかかります。しかし、そんな災難をも自分にとっては試練なのだと思える強さが主人公にはあります。

真面目に生きるって損な生き方だなぁなんて思えてしまうときや、どうも考え方が後ろ向きになってしまいがちなときに読むと必ずや力を与えてくれる作品だと思います。

身震いするような感動があります。

<おまけ はまションと三浦作品の出会いコース>

人それぞれ気になった作品から手をとっていけばいいかと思いますが、私が三浦作品と出会ったのはおおよそ次のような順番でした。(途中、ここには未掲載の作品が入りますが、ここでは省略)

塩狩峠 → ひつじが丘 → 道ありき → 氷点 → 泥流地帯

<データ編>

・販売部数上位作品

氷点 338万部
塩狩峠 296万部
続氷点 284万部
天北原野 157万部
積木の箱 151万部
道ありき 147万部
細川ガラシャ夫人 124万部
ひつじが丘 110万部

※データは三浦綾子記念文学館調べ。(「三浦綾子に出会う本」より)

<三浦ファンのお気に入り上位作品>

塩狩峠
氷点、続氷点
道ありき
泥流地帯、続・泥流地帯
ひつじが丘
天北原野
銃口

細川ガラシャ夫人
ちいろば先生物語

※データは「三浦綾子愛読者ページ」のお気に入りコーナーへの投票数から(2000/02/13時点)。

2000/02/13Update

三浦綾子入門 2.三浦作品のどこがいいの?

2.三浦作品のどこがいいの?

1.三浦綾子って誰?では三浦綾子さん本人の簡単な紹介をしましたが、ここでは作家としての三浦綾子が世に送りだした作品のどういうところが特徴なのかをはまションの独断と偏見に基づき、紹介していきます。あまり深い意味はありませんので軽く読んでいただけると幸いです。

★テーマ

三浦作品のテーマは「人はいかに生きるべきか」(言い方換えると「生きるということはどういうことなのか」)じゃないのかなと、私は漠然とながら思っています。

そういう意味で三浦作品は「人生の教科書的存在」になりうるものだと思います。

 

☆効能

効能というタイトルはちょっと大げさですが、三浦作品を読むと「こういう気持ちになるよ」というものをいくつか紹介します。

-心が洗われる

三浦作品はとても感動的な作品が多く、何度か読み返してもまた違った感銘を受けることがあります。

多忙な日々を送る人にとって三浦作品は一種の清涼剤というところでしょうか。「心が洗われる」と思うのは私だけでなく、けっこう多くの方が思うようです。

でも心が洗われるというのは言い過ぎかもしれませんね、「心が洗われるような気がする」というほうが適切かもしれません。そうなんです、決して間違えてはいけないのは本を読んだだけでどうこうなるわけじゃなく、それを実践して初めて「心が洗われた」ことになるんだと思います。そうか、実践してないから心が洗われたような感じがするレベルで止まっていたのか、私は。とこれ書きながら思いました。

-優しい気持ちになる

三浦作品はとても心あたたまる話にあふれています。特にこれはエッセイなどを読んでもらえるとよく分かると思います。自分が上の立場に立った優しさじゃなく相手と同じ視点に立った優しさというものを強く感じます。

-前向きに物事を考えられるようになる

三浦作品の中ではとても辛い境遇におかれている人が多数紹介されています。でもその人たちは決してつぶれていません。とても前向きなんです。そういう人たちを見ると自分の置かれた環境なんてたいしたことないとホントに思います。

「どうしてこうなっちまったんだ」ではなく、「これからどうやっていこうか」という気持ちにさせてくれます。気持ちの持ちようで前に進むこともできれば後ろにずるずる下がることにもなるんだなと実感しています。

ちなみに私の好きな言葉のひとつに「希望は失望に終わらない」という言葉があります。三浦作品で何度も登場する言葉ですが、これを合い言葉にしてると頑張れちゃいます、色々と。

-謙虚な気持ちになる

上の「前向きに物事を考えられるようになる」というのがどちらかというとあまり物事がうまくいっていない時に思える気持ちですが、こちらの「謙虚な気持ちになる」というのは、特に自分では調子がいいと思っているときに一番効能を発揮するものかと思います。

調子がいい時ってどうしても人間、増長しがちですが、こういう気持ちをバシッと切ってくれるのが三浦作品だと思います。自戒の意味を込めて読むのもいいのではないでしょうか。

(番外編)泣ける・感動できる

ちょっと上では人生の教科書的存在だなどと堅いことをいいましたが、三浦作品の効能としてこの「泣ける・感動できる」も欠かせないひとつかと思います。

映画とかビデオ見るときでも「今日は泣くぞ」みたいに思いながら見るときもあるでしょうし、辛いときに泣いてスッキリしたいという方もいることでしょう。また平凡な日々に飽き、何か感動を求めている時もあるでしょう。そういう時に三浦作品はなかなかの効能を発揮します。

ハッキリいって単純に泣けます。感動できます。

人生の教科書的存在であるとともに人を泣かしたり、感動させることができる三浦作品はれっきとしたエンターテイメントじゃないでしょうか。

 

このページの最初でも言いましたが、あんまり深い意味でここで述べたことをとらえず、まずは自分の目で三浦作品にふれてもらうのが一番だと思います。まずは読んでもらうの一番ですので、次の3では三浦作品の代表作を簡単に紹介したいと思います。

また、三浦作品を読んで感じたことは掲示板にでも書いてもらえるとありがたいです。感動を共有できたらいいなと思っています。

 

▽おまけ

あんまりいいことだけ書いてもあれなんで、ちょっと思っていることをチョロッと。

特に小説系でいえることですが、たまにストーリー展開に無理があるんじゃないのと思うことあります。おいおい、そりゃ無茶でしょという展開がなきにしもあらずです。でも個人的にはその辺はあまり気にならないたちなので問題はないのですが。それ以上の感動もらえるのでOKだといえます。

ちょっとクサイ。これも人それぞれの感じ方により違いますが、私はクサイ言葉、文章で読む分には割と好きなので構わないのですが、三浦作品の中にはクサイ言葉がたくさん出てきます。ある人には説教くさいととらえられてしまうかも知れません。たしかに三浦作品を映画やドラマにするとこりゃたまらんぐらいのくささ抜群ですが、文章で読む分にはOKかなと思います。

ある程度説教くさい言葉ももらわないとだらけちゃいますからね。そういう意味で貴重な存在かも。

2000/02/06Update

三浦綾子入門 1.三浦綾子って誰?

1.三浦綾子って誰?

三浦綾子さんを紹介する際にキーワードとなるのは、

旭川、氷点、キリスト教、夫婦、病気

になるのではないでしょうか。
このキーワードにそって以下三浦綾子さんを紹介していきます。

 

第一のキーワード「旭川」

三浦綾子さんは1922年(大正11年) 北海道旭川生まれ。
一生を旭川で書き続けた作家。
小説の舞台となる土地は北海道、特に旭川が多い。
三浦文学を後世に伝えていくため、旭川に三浦綾子記念文学館が1998年にオープン

第二のキーワード「氷点」

作家として一躍脚光を浴びたのは、昭和39年、朝日新聞社の一千万円懸賞小説に「氷点」が入選したことである。
朝日新聞の連載小説として公開後、いわゆる「氷点ブーム」が到来。
「氷点」は映画化、テレビの連続ドラマ化、舞台化などがされた。
氷点は販売部数300万部を越えるベストセラー、現在もなお読み続けられている。

第三のキーワード「キリスト教」

三浦綾子さんはクリスチャン。
出世作となった「氷点」のテーマがキリスト教でいうところの「原罪」であることからも分かるが、三浦作品の基本的テーマはキリスト教に基づくものである。
自著の『孤独のとなり』(角川書店)で次のように語っている。
わたしは、直接であれ、間接であれ、このキリストの福音を伝えようとして書いているのである。たとえ文学的には、どうであれ、この信仰の土台に立って書いているのである」
ここから分かるように三浦綾子さんはキリスト教を信仰し、キリストの教えを伝えるために書き続けた。
キリスト教に基づく作風ではあるが、その文章はとてもわかりやすく、信者であろうとなかろうと、その作品の持つ感動は共有しうるものである。
(余談)同じクリスチャン作家に曽野綾子さんがいるが、三浦綾子さんとは別人。

第四のキーワード「夫婦」

夫は三浦光世さん。
三浦光世さんとは十三年にも及ぶ入院生活中に出会う。
三浦綾子さんが退院後、二人は結婚する。
三浦綾子さんと光世さんの出会いから結婚に至るまでの経緯は「道ありき」に詳しい。
三浦綾子さんと光世さんは仕事上でも欠かせないパートナーであった。ほとんどの作品が三浦綾子さんが口述し、それを光世さんが筆記するという二人三脚で産まれたものである。

第五のキーワード「病気」

三浦綾子さんは病弱で病気との闘いの一生だった。
肺結核、脊椎カリエスにより十三年にも及ぶ入院生活を経験するほか、帯状疱疹、直腸ガン、パーキンソン病といった大病も経験する。
病気という苦難も「恵み」のひとつである考えることができる、その精神力の強さはすごいというほかない。また、そのような苦難を知った著者から生まれる言葉はとてもあたたかく、優しい言葉に満ちあふれている。
1999年10月12日、77歳の生涯を終える。

 

<参考HP>

・三浦綾子記念文学館については、

三浦綾子記念文学館公式ホームページ

・三浦綾子さんの略歴・著作目録については、

三浦綾子氏特集(北海道教育大学附属図書館旭川分館)

<参考文献>

・三浦綾子に出会う本(フォレスト・ブックス編集部編 いのちのことば社)

・言葉の花束 愛といのちの777章(三浦綾子著 宍戸芳夫編 三浦光世監修 講談社)

2000/02/05Update

2010年1月 3日

旭川旅行記

念願だった旭川、三浦綾子記念文学館への旅行が実現しました。

ここではその模様を報告します。

2000/12/23(Sat)

羽田7:35発の旭川行き飛行機で旭川空港へ

朝日がまぶしい頃、相棒と共に羽田を発つ。東京は快晴だったが、旭川ではどんよりとした曇り空。

そして何よりも一面銀世界が広がる景色に”北海道だぁ”と歓喜。

バスで旭川市内へ

空港から連絡バスで旭川市内へ向かう。

また、到着ロビーで旭川トラベラーズマップを入手(無料)。

かっちりとは予定を決めていなかった我々には都合がよいマップだった。

いちおう「るるぶ」を持参したもののこの一枚のマップの方が分かりやすかった。それとソンシアの家にある旭川ガイドも大変参考になった(プリントアウトして持参したかいがあった)。

平和通買物公園を散歩

連絡バスを宿泊先のニュー北海ホテルの前で下車。(ホテルの目の前が停留所でラッキー!)

フロントへ荷物を預けて身軽になった後、旭川駅前のメインストリートのひとつ、平和通買物公園を中心に散歩。

途中、旅行者らしきご婦人から道を訊ねられるが、何とか答えられる。うーん、分かりやすいぞぉ旭川の街並み。

ほんと碁盤の目のように整理されているので歩いたことなくても地図見れば見当つくし、一度歩けばもうばっちり。

ただ、30分以上も歩いているとやはり旭川、寒い。じわじわと寒さが身にしみる。

旭川での最初の食事。

だいぶ身体が冷えてきたし、時間もいいころだったので一路、ラーメンを食べに”山頭火”へ向かう。

しおラーメンを食べたが、こくがあるけど、くどくなくおいしかった。

そして、なかなかヒットだったのが”ねぎめし”万能ネギをみじん切りにしたものとおかかをごはんにどっさりのっけて登場。

あとはお好みでしょうゆをちょろりとたらし、かっくらう。これだけでどんぶり二、三杯はいけそう。

ちなみに我々が入ったお店は4条店でした。

写真-山頭火メニューなど

いよいよ念願の”三浦綾子記念文学館”へ

まずは見本林で雪と戯れる。

昼食後、タクシーでいよいよ今回の旅の目的地”文学館”へ。

何の奇縁か、運転手さんの名は三浦さん。やはり綾子さんは旭川の人に愛されていたのかいろいろと綾子さんに関するお話を聞けた。

そういえば、旭川のいたるところに立っているナナカマドの木。あの実を何とかおいしく食べようと研究されている方もおられるとか。いったいどんな味なんでしょうね。あんなにたくさん実っている実を鳥も食べないところを見るとそうとうまずいんではと想像しますが・・・(笑)。

タクシーで文学館前に到着後、文学館に入る前に、見本林の方へ進む。

雪がどっさり積もった見本林を堤防に向かってちょっとづつ進む。人が歩いた後を頼りにしながらもけっこう雪に足が埋もれてゆく。これはこれで楽しかった。

そして、最大の難所?。堤防を登る。かなりの傾斜でしかも人の足で踏み固められていないためずぶずぶと足は沈むは下に滑るはなかなか大変。でも何とか一番上まで到着。

写真-冬の見本林(堤防の上より)パステル調に加工

ここから下ってもうちょっと先に進めば氷点で陽子が自殺を図った美瑛川のほとりに出る。相棒は川まで行こうよと言うが、この時点でかなりの雪まみれ、しかもこの先はさらに新雪に近い状態。今回はこの堤防の上までで我慢してもらう。ま、今度違う季節に来たときの楽しみをとっておかないとね(笑)。

そして、雪まみれになった服から雪を払い、いざ本丸へ!

のんびり文学館、そして初対面。

ちょっと緊張気味で文学館へ入る。

入った瞬間の気持ちは、”なんだかあったかーい”という感じ。照明の加減といい、BGMが遠くからさりげなく聞こえてくるような感じといい、なかなか落ち着ける雰囲気たっぷり。

しかも12月。12月、1月は一番文学館への来館者数が少ない頃。

ほとんど貸し切り状態!

心ゆくまでたっぷりと、しかものんびりと楽しめた。

たいしたことではないが、氷点の正式タイトルは「氷点」じゃないというのを知った。”点”が略字の”てん”(点々の部分が大みたいなやつです)だとは。当選の賞状もそうなっていた。

氷点といえば、文学館で初めて知ったが、過去七度も映像化されていた。見たことあるのは初代の連ドラ版、二代目の映画、七代目の5時間ドラマだけでしたので驚き。うーん、全部見てみたいと思った。

そして陽子役や夏枝役の女優さんに字は違うが、”ようこ”さんが多いこと、多いこと。なんか不思議な感じがした。

その他いろんな作品がドラマ化されていてどれもこれもみたいなぁと思った。

今回は純粋に文学館へ行くってのが目的だったので、まったくメモとかとって来なかったのでどんな作品がドラマ化されたかよく覚えていないが。

コッコさん、ロンさんとついに初対面。

”ソンシアの家”を運営されているコッコさん、ロンさんご夫妻と文学館内で初対面。

一時間ちょっとですが、お茶しながらいろいろお話できて楽しかった。

しかも素敵なクリスマスプレゼントまでいただいた。

ファンならよだれが出そうなものばかり。

その中でもコッコさんが地元の公民館で作成されている三浦綾子文学マップは今回の旅行で大変重宝した。

二日目の予定はちゃんと決めていなかったのでマップをいただいた瞬間にこれに従い、旭川市内をまわろうと決定!

氷点で登場する旭川市内の場所が網羅されているマップで、もうすぐ完成のよう。三浦ファンで、旭川旅行者必携のマップになるのでは。

視聴覚室へもう一度。

コッコさん達と対面後、我々はもうしばらく文学館に。視聴覚室で光世さんと現代夫婦のあり方(タイトルよく覚えてないが)について対談しているテープをしばし聴く。

ここの視聴覚室ではこういったカセットテープの他、ビデオも見ることができる。氷点や塩狩峠の他、NHKでドラマ化された銃口もあった。

銃口はとっても見たかったが、時間の関係上、見ることが出来なかった。これまた次回訪問の楽しみのひとつ。

また同じ部屋で氷点などの原稿のコピーを見ることができる。

時間さえ許せば、本当の原作を楽しんでもいいかも。

おみやげを購入、そして文学館を後にする。

一通り見終わったのち、おみやげコーナーへ。

ここで私は絵はがきとビデオを購入。

絵はがきは見本林の草花が描かれたもの、ビデオは”三浦綾子の家庭論”。

5分ぐらいの番組を17回分収録したビデオですが、生き生きとした綾子さんを拝見できる。

写真-文学館にて記念スタンプ

夕食は綾子さん夫妻も行ったという”大舟”へ

文学館を後にした我々はニュー北海ホテルへ向かい、しばし休憩。

その後、夕食をとるため居酒屋”大舟”へ。ここもソンシアの家の記事を参考にしていったお店。店内の通路の壁に綾子さんの写真もあり、あぁここに綾子さんも来てたんだぁと実感。

たらふく食べた。石狩鍋や刺身など。うーん、おいしかった。

写真-大舟箸入れ

そのあとはイルミネーションで彩られた旭川の通りをちょっとだけ散歩。

生まれて初のホワイトクリスマス(イブ×2)でした。

2000/12/24(Sun)

まずはアイス???

ニュー北海ホテルの9Fにあるスカイレストラン「オーロラ」で朝食をとる。

窓が大きくなかなか眺めはよかった。でも雪が降っていて朝から寒そうな気配いっぱい(笑)。

この日は飛行機の時間まで昨日コッコさんからいただいたマップに従って歩くことがまず第一目標。

チェックアウトを済ませた後、雪降る旭川市内へ足を踏み出す前に、もう一度腹ごしらえ?。1Fにある売店でアイスクリームとトマトジュースを買い、食す。アイスはかなり濃厚な味でおいしく、トマトジュースもさっぱり爽やかな味。

雪降る中、いざ出発!

朝からアイスを食べた我々はいよいよ出発。

昭和通を旭川駅方面に向かい歩き出す。雪は降っているし、慣れない雪道のため割とのんびりと歩く。寒いことは寒いがたいしたことはない。

一条通で右折し、忠別橋を目指す。

途中大きな交差点で左折すると忠別橋へ。

昔、サムライ部落と呼ばれていたという現在の忠別橋公園へたどり着く。橋の上から記念撮影など。

写真-忠別橋の上から

そのまま橋を渡り、国道237号を左折。道の駅でなぜか徒歩者の我々が休息。その後、営林局の前を通って、クリスタルホールの脇を抜け、神楽小学校方面へ。そしてここまで来れば文学館、見本林も目の前。

今日は文学館に入らず、昼食タイムとなったのでタクシーを拾い、いったん旭川駅へ戻る。

旭川駅内で”あぁここで学会で京都へ向かう啓造を見送ったんだねぇ”といいながら小説の場面を想像して楽しむ。

おみやげを先にゲット!

昼食は駅近くのクレイジースパイスでカレーを。かなりおいしい。ここのカレー。この店独特の香りが楽しめるね。

それとこの店が入っている周辺の店もかなり独特。こりゃはまったら通うんだろうなぁと思わせるちょっと怪しい感じ(笑)

旭川市内の散歩に出る前におみやげを物色。

今回私が購入したおみやげは・・・

・三方六:三浦夫妻も大好物のバウムクーヘンをチョコでコーティングしたようなお菓子。最初、大したもんじゃないかなぁと思っていたが、これがなかなか上品なお味だった。あっという間に一本食べてしまった。実家へのおみやげにしようかと思っていたが、その前に消滅・・・。

写真-三方六説明書き

・とろとろまんじゅう:三方六と同じ店で購入。あんこがひと味ちがう感じ。くせになりそう。これも何個も食べちゃいそう。しつこい甘さじゃないのがいいのかも。

・鮭の中骨の缶詰:まだ開けていないのですが、かなりの大好物の一品。

・きのこの山(あずきチョコ、ミルクチョコ味):もう生産してないという言葉に乗せられ購入。でもちょっと失敗・・・。

再度、旭川市内を散歩

昼食、おみやげを物色した後、再度歩き始める。

冨貴堂書店、喫茶店ちろる、旧北海ホテル箇所などを回る。

喫茶店ちろるは残念ながら日曜日は休業でしたが、豊貴堂書店ではそうそう本屋ではお目にかかれない「祈りの風景」を購入。うーん、いい買い物が出来た。満足、満足。

その後、六条教会へ。クリスマスのイベントは終了した後らしく、がらんとしていた。入ってすぐのところに綾子さんの写真と色紙などが。ここでもあぁここに綾子さんが通われていたのだぁと実感。

写真-六条教会入り口にて

で、そのちょっと先に氷点の辰子さんの家の設定場所らしき地点まで歩く。

相棒と一緒に「ここが辰子さんの家!」って勝手に決めつけて帰ってきた(笑)

あっという間の二日間。

教会まで行った後、ホテルへ戻り荷物を受け取り、軽くお茶した後でバスで空港へ。名残惜しいながらも時間が来てしまった。

今回は二日間という短い時間しかなかったので移動時間がかからない市内中心部を回るだけだったが、コッコさんのマップに掲載のポイントほとんど歩けたしかなり充実していた。

帰りの飛行機では購入した「祈りの風景」を二人でめくりながら熱く語った。

これで北海道は二度目だったのですが、いずれも冬の北海道。

今度は初夏、あるいは夏に行きたいです。あ、でも旭川冬まつりもいいなぁ。

いろいろ次回の楽しみも作っておいたし、今度は取材旅行という形で本格的にリポートできたらいいなぁと思う。

それにしてもやはり北海道の冬の厳しさを少しは知ることができてよかったなぁと思う。あの風土があってこそ、数々の三浦作品が生まれたんだと実感。夏もいいけど冬もいいよぉ、旭川。

みなさんもぜひどうぞ。