2010年1月10日

三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編

番外編.三浦綾子さん関連番組その1-後編

1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より

ゲスト:高野斗志美さん

前編からの続きです

(それでも明日は来るの朗読を聞きながら)

司会:

高野さん、引き続きよろしくお願いいたします。

高野:

お願いいたします。

司会:

この1時台は三浦綾子さんが1989年、ちょうど10年前に出された「それでも明日はくる」というエッセイをご自身で朗読されたテープを聞きながら三浦さんを偲んでいきたいと思います。ではまず、巻頭の三浦さんのメッセージからお聞きください。

こんにちは。三浦綾子でございます。「それでも明日はくる」という私の随筆の本のこの題はみなさんが喜んでくださいました。健康な方とか、何事もない日々が無事に過ぎていく方には明日という言葉はそれほど大きなものではないかもしれませんけれども、私などのように十三年間も病気をしたとか癌などという病気にとりつかれて苦しい思いをしたとかあるいはなにかで苦しんでいる方にとって、明日という言葉は本当に希望のある言葉だと思います。しかし、明日は常に希望に満たされているというわけではなく、いつか死ぬ、明日も来るわけですけれども、でも死も決して最後ではないんだということを私は言いたいと思ってこの本を書きました。

とにかく死も決して最後ではない、神の愛によって永遠の愛を与えられる、そこにこそ本当の明日があることを信じて共に生きていこうではありませんか。お元気で。

司会:

高野さん、死も決して最後ではないそうですね。本当の明日があるんだということを三浦さん、おっしゃっていますね。

高野:

そうですね。やはり同時に三浦綾子さんは人間にとっては人生の終わりには死ぬという大切な仕事がある、という風に常日頃からおっしゃっておられましたですね。ですから今日の三浦綾子さんのお話と表裏一体を成して、そこに生きることと死ぬことを見つめた作家の姿がありありと浮かんできますね。

司会:

なるほどね。ちょうどこのテープを吹き込まれた1989年、ちょうど十年前、「それでも明日はくる」のエッセイが出た年なんですが、三浦夫妻の結婚30周年、またその綾子さんの作家生活25周年、たいへん記念すべき年だったのですねぇ。

高野:

そうですね。結婚生活40年をやがて迎えていくわけでそれで夫婦のこの世での生活は終わるのですけれども、そういう晩年に向かって、やはりこの作家が心技体、そういう色々な苦しみを乗り越えながら新しい作品の世界に向かって自分を歩ませていく、ということもありますし、それからやがてこのあとパーキンソン病という難病にかかっていく、そのいわば前夜ということになりますね。

司会:

作品ばかりでなく講演活動も非常に積極的にされていた方ですが、この年あたりからその講演を控えられると、

高野:

そうですね、三浦文学ということを大きく考えた場合には、小説、エッセイの他に、三浦綾子さんの場合は講演活動というのがひとつの大きな分野を占めているわけです。その講演は非常に大きな影響を聴衆に与えていったわけですけれども、それが少しお体がだんだんと不自由になって、やがてできなくなっていく、というのはたいへんつらいことであったろうと思いますね。

司会:

その意味でのこうしたテープを通して、多くの方々にメッセージを送りたいという気持ちがあったのかもしれませんねぇ。

高野:

そうですね、やはりそうだと思います。たくさんの人に、心を造り替えていって欲しいという願いを込めたメッセージをこういう形で送り届けたかったんだろうと思いますね。

(冬の塩狩峠)

司会:

さあそれでは三浦綾子さんの朗読「それでも明日はくる」の中の冬の塩狩峠の一部をお聞きいただきたいと思います。

塩狩峠は旭川から最果ての稚内に向かって北方三十余キロの地点にある。この塩狩峠は手塩の国と石狩の国の境にあるのでその名がついた。
旭川は寒い土地だ。わたしたちの小学校の頃の地理の本には日本一寒いところだと出ていたものだ。が、それは測候所が少なかったからで実はもっと寒いところが北海道にはいくらもある。この塩狩峠もその寒いところのひとつだ。この峠を越えると旭川とは十度も違うと言われるほどに厳しい冬がそこにある。
なぜ私が井戸という小説に塩狩峠を出したか、それにはいくつかの理由がある。十八歳の冬、私は女学校時代の恩師を訪ねて名寄に行った。寒い日だった。汽車の窓が厚い氷紋で覆われ、外は少しも見えなかった。客車の中には小さなダルマストーブがあるだけで、オーバーを着ていても、寒さが身に沁みた。どのあたりを走っているのかと、私は窓にぺたりと掌をつけて、五ミリはある厚い氷紋を融かそうとした。が、掌が痛いほどに冷たくなって、私はすぎに手をひっこめた。そして毛糸の手袋をはき、僅かに一センチ程融けかかった部分から、その周囲に向かってごしごしと氷紋を削りはじめた。そしてようやく、僅かにひろがったガラス越しに、私は息をのむような光景を見た。黒ぐろとつづく針葉樹林に、きらめく霧氷を見たのだ。
霧氷は、空気中の湿気が樹木に凍りついて、水晶の林とも、銀の林ともいいたいような様を呈する。旭川育ちの私は、霧氷はいつも見ていたが、その時の汽車の窓から見た霧氷は、未だかつて見たこともないほどに、荘厳なまでにきびしく美しかった。折から朝日がその林を照らし、私は一瞬、童話の国に誘い込まれたような、錯覚を覚えた。あまりの美しさに、私は飽かずに眺めていたが、その時汽車は喘ぎ喘ぎ峠をのぼっていた。そして程なく汽車は塩狩駅に着いた。そこには深々と真っ白な雪が積もっていた。駅舎の軒につらなる氷柱は、ガラス細工のように細く鋭かった。寒さが過ぎると、氷柱はかえって太くならない。太い氷柱ができるほどには、屋根の雪が融けないからだ。
その白い深雪の中の道を、角巻を着た女と、二重廻しを着た男が、小走りに走って来るのが見えた。真っ白な雪の中に、赤い角巻が印象的であった。走る女の下駄が、雪を軋ませた。澱粉の上を歩くような、きしきしと軋む、厳寒の雪道特有の音が、車中の私の耳に聞こえた。

雪を真紅に染めて

この若い日の、塩狩峠の霧氷と雪は、私の心の中に、白いひとつの風景として刻み込まれた。それが小説「井戸」に甦ったのである。ちょうどこの頃、私は「塩狩峠」という小説を書いていた。この小説は、約七十年前、塩狩峠において実際に起きた列車事故を扱ったものである。小説の主人公永野信夫という鉄道員は、実在した人物長野政雄氏をモデルとした。
長野政雄氏は明治四十二年二月二十八日夜、この塩狩峠で犠牲の死を遂げた稀に見る立派な人物であった。鉄道員といっても公務中ではなかった。彼は私事旅行中であり、客の一人であった。彼の乗っていた客車が、塩狩峠頂上近くで連結器に故障をきたし、置き去りにされた。いや、置き去りにされただけではない。厳寒のことだ。凍ったレールの上を、その車輌は後ずさりを始めた。
現在の勾配とちがって、塩狩峠の線路は勾配がきつかった。彼の乗っていた客車はたちまち速度を増し、転覆に至らんとした。彼はつるつるに凍ったデッキに飛び出し、ハンドブレーキをまわし始めた。が、ハンドブレーキは故障していたのか、車輌は完全にはとまらない。
彼はついに車輌から線路に飛び降りた。その彼の体を下にして、客車はようやく停止した。
この小説を書くとき、私の胸に甦ったのは、若い日に見たあの純白の雪であり、霧氷であった。あの純白の雪を真紅の血で染めたであろう光景が、私の心を厳粛にした。
白と赤---。命のない雪と、命そのものである血---。私はその不思議なコントラストを思った。

司会:

「それでも明日はくる」、三浦綾子さんご自身の朗読で冬の塩狩峠の一部をお聞きいただきました。

高野さん、十年前の朗読ですが、たいへんお声にも勢いというか元気がありますね。

高野:

そうですね。お話をするときは要点をつかんでぱきぱきときりっとしたお話をされる方ですね。

司会;

代表作の塩狩峠、そしてその前に書かれた短編小説「井戸」の舞台になった塩狩峠の冬の部分を自らエッセイで書かれていますが、三浦綾子さんと北海道というですね風土、これについてちょっと伺っていきたいのですが。非常に北海道を愛された作家といっていいでしょうね。

高野:

そうですね、その具体的なこととして言えば、三浦綾子さんの小説には全部合わせますと北海道の至る所の場所が出てくるわけでして、そういうことから考えても北海道を非常に愛していたということが言えると思いますね。

司会:

天北原野しかり、泥流地帯しかりですね。

高野:

やはり北海道の持っている独特の風土性といいますか、春夏秋冬を通してですねちょっと本州では見られないユニークな季節の感覚とかですね、そこにある風土、そして社会、その中に生きていく人間、そういうものに対する愛着が非常に深かった。だから、旭川にいることが一番好きだと、で旭川が大好きだと、つまり北海道が好きだということなんですね。それから旭川が産んだユーカラ織りなども常に身につけて離さないという、そういう愛着もあったわけです。

司会:

特に赤いユーカラ織りのジャケットは三浦さんのお気に入りで写真にもよく残っていますね。

高野:

やはりですね、ユーカラ織りを北海道のひとつの財産として大切にしたいと、そしてみんなに知ってもらいたいという気持ちがあったんでしょうね。

司会:

そうしますと作品の背景だけでなくて自分自身の拠り所みたいなものに北海道がなっていたのですね。

高野:

そうですね、それはもうはっきりしてますね。 自分のアイデンティティといいますか、そういう自己証明、存在証明、そういうものは北海道が作ってくれたんだと、そういう強い想いがあったんだと思いますね。

司会:

数々の病気も克服していく強靱な精神力・生命力というのもこれやっぱり北海道人の持つ特性といっていいんでしょうか。

高野:

そうでしょうね、やはり三浦さん自身も含めて、また作品に登場する人物たちも含めて、やはり三浦文学の世界を支えていっている背骨みたいなものはやっぱり北海道人特有のねばり強さとかですね、苦しみにうち勝っていく力とかですね、そういうものであるだろうと考えられますね。

司会:

生涯、旭川を離れずに作家活動をなさったんですが、それによるデメリットみたいなものはなかったんですか?

高野:

もちろん、あったと思いますね。それはいわゆる中央の文壇から離れておりましたから、そういった点ではちょっとご不便があったんだろうと思いますけれども。逆にまた東京のマスコミの方たちがいわば旭川の三浦家に、大げさに言えば、殺到する形で地方へ中央を吸収していく、そういうことがやはりありましたんで、それで十分自信を持っておられたんではないかと思います。

司会:

逆に北海道にいて旭川から全国にいろんなメッセージを発信されたと。

高野:

そうですね、やはり「人間はいかに生きるか」というメッセージをですね、北海道旭川の地から全土に向かって発信をし続けていく、そのメッセージの力強さをですね、やはり常に北海道旭川の中で培ったということだろうと思います。

司会:

さあて零時台前半で最愛のご主人の三浦光世さんのすばらしい歌声で、三浦綾子さんも大好きだった赤トンボをお聞きいただきましたが、ここでもう一曲三浦さんの「ふるさとの」というすばらしい曲をお聞きいただきたいと思います。

~ ♪ ♪ ♪ 光世さんの歌が流れる ♪ ♪ ♪ ~

(歌がおわり・・・)

司会:

三浦綾子さんのご主人、三浦光世さんが歌っていらっしゃいます「ふるさとの」をお聞きいただきました。高野さん、三浦光世さんはテノールですよね。

高野:

そうですね。非常にやっぱり古典的な、なんといいますか、きっちりとした歌い方をなさいますね。

司会:

綾子さんご自身も静かな叙情歌とか童謡とかそういう歌がお好きだったんですか?

高野:

そうですね、特に光世さんが歌うのが大好きでしたね。

司会:

そうですかぁ。

(愛は人の徳を建つ)

はい、今日の北海道発ラジオ深夜便1時台は三浦綾子さんのエッセイ集「それでも明日は来る」の中から三浦さんご自身の朗読をお聞きいただいております。続いては「わたくしの好きな言葉 愛は人の徳を建つ」をお聞きいただきましょう。

私の好きな言葉---愛は人の徳を建つ

色紙を求められると私は時にこの言葉を書く。新約聖書コリント人への手紙第八章一節にある言葉である。
(途中略)
何れにせよ、いくら高い知識を持っていても、広く学んでいても、それだけでは思い上がる人間となるが、愛は私たちを向上させるものなのであろう。
(途中略)
たとえば、夫を愛しているつもりで、少しのことで夫を疑い、心を取り乱し、ヒステリックになるとしたら、それは決して己を向上させる愛とは言えない。ましてや相手を向上させる愛ではない。
(途中略)
現代の社会を見ると、親の、特に母親の愛が子供たちを毒している状態がよくわかる。男女間の愛にしても、つまりは肉欲に走り、仕事も学業も手につかなくなる例が珍しくない。
<愛は人の徳を建つ>
この言葉が私たちのものとなるためには、正しい意味での愛が先ず理解されねばならないのではないだろうか。

司会:

「それでも明日は来る」の中から「わたくしの好きな言葉 愛は人の徳を建つ」を三浦綾子さんご自身の朗読でお聞きいただきました。高野さん、この三浦さんと聖書、バイブルというのは切っても切れないものですねぇ。

高野:

え、もうそれはそうですね。三浦光世さんと婚約をなさった時にお互いに聖書を取り交わしてそこにとにかく共に生きていこうということを聖書の表紙の裏に書かれたわけですから、それ以来とにかく聖書はすりきれるほど読んでいらっしゃるわけです。だからまさに聖書と一体になった生活だろうと考えられますね。

司会:

作品の中にもいろいろ聖書の言葉が出てきますね。

高野:

そうですね。塩狩峠の場合には副題みたいな形で「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」と記されていることからも分かるように、やはりバイブルの言葉ひとつひとつが三浦綾子さんの魂の血となり肉となっていたということがはっきりと言えるわけです。

司会:

三浦綾子さん、私の好きな言葉で愛は人の徳を建つという言葉を挙げられましたが、私も三浦さんの大好きな言葉がありまして「帰りこぬ風」の中にありましたこういう言葉なんです。「人間にとって転んだことは恥ずかしいことじゃない。起きあがれないことが恥ずかしいことなのだ」
この言葉を見たときにすごくそうだなぁとなんかこう勇気づけられました。

高野:

僕もこれは大好きな言葉のひとつですね。さらには例えば、ひつじが丘という小説があるんですけれどもその中に、主人公の女性の方に言わせているんですけれども「人間は弱いものだから一生何回も何回も許され続けなければならない存在なんだよ」と言わせているんですね。そういう言葉などもありまして、あらゆる作品の中に非常に心に残る言葉をですね、宝石のように書き記していた方と思いますね

司会:

そういう言葉に読者はずいぶん励まされたり、生きる希望を持たされたり。

高野:

そうですね、それは大きいですね。

(癌告知によって得た心の平安)

司会:

はい。さあ今日は三浦さんご自身による「それでも明日はくる」の朗読をお聞きいただいておりますが最後の朗読になりました。わがガン闘病記の中から癌告知によって得た心の平安をお聞きください。

私は誕生の時、首に臍の緒が巻き付いていて、産声も上げられなかったと聞かされている。そのためか否か、腺病質に育った。一九四六年の春、肺結核を発病し、以来十三年間の療養生活を送った。後半の七年半は、脊椎カリエスも併発して、ギプスベッドに仰臥の生活がつづいた。待っていた三浦と結婚したのは、三十七歳の五月だった。三浦は三十五歳であった。
(途中略)
様々な健康書も読んだ。それによって、どうやら直腸癌らしいと見当がついた。見当がついたあたりで、私は癌を特別視しないように自分自身を戒め始めた。
「癌に罹った者だけが死ぬわけではない。脳溢血でも、交通事故でも、自殺でも、戦争でも人は死ぬ。もし癌だとしても、癌患者だけが死ぬというような、甘ったれた考えは捨てよう」と思った。
(途中略)
やはり癌であった。不思議なもので、癌ではないかとおおよそ見当をつけているつもりだったが、はっきりと癌とわかると、心が定まった。私はそれ以前に、神にとっては風邪を治すことも、癌を治すことも同じことである、と誰かから聞いてうなずくところがあった。神の意志の実現を、いっそう信じようとしたのである。
(途中略)
やがて私は、朝目覚めると、「今日は私の命日だ」と思うようになった。誰にとっても、今日という日は命日になるかも知れないのだ。病気のあるなしに関わらず、世界の幾万の人が今日の夕日も見ずに死んでいくのだ。今元気で笑っている人にも、今後の計画を練っている人にも、病気の人にも健康の人にも、子供にも老人にも、誰にも今日一日の命の保証はないのだと、見に刻みつけるように思い始めた。
さらに私は、癌を特別席から引きずりおろそうと思った。「風邪をひいた」とあっさり言えるように、「癌です」と、あっさり言わねばならぬと思った。家族がひた隠しに隠すそんな苦労を、我が家の場合はなくして欲しかった。こうして我が家では、癌がふつうのこととして語られるようになった。とは言っても、癌の恐ろしさや辛さを、私は決して知らないわけではなかった。

司会:

三浦綾子さんのそれでも明日は来るの中からわがガン闘病記、その中の癌告知によって得た心の平安をご自身の朗読でお聞きいただきました。高野さん、癌も風邪も一緒だというすごい精神力というか、すごいですね。

高野:

そうですね。氷点でデビューしてからですね、その前には十三年間の脊椎カリエス、結核性ですけれども病気で寝ていたわけで、その後氷点で作家として登場した、その後から今度は血小板減少症、心臓病、重い帯状疱疹ですね。

司会:

これは痛いらしいですねぇ

高野:

特に三浦さんの場合は重症のヘルペスであったわけで失明の寸前までいったわけですから大変に重いヘルペスだったわけですね。それから直腸癌、これは手術して直しますけれども、その再発があってそれを粉ミルク療法で克服するということもあって、そういうふうないわば三浦さんご自身が「私は病気のデパートなんだ」とおっしゃっておられたんですけれども。それほど次から次へと病気に襲われ続けた人ですね。しかも重い病気にですね。それを乗り越えてきたわけですね。そして八年前にパーキンソン病という難病にかかってそれから八年間に渡ってやはり闘病を続けるというほんとに力強い、病気を神からの贈り物として考えてですね、それを常に内面化して病気と対話をしながら病気によって自分の魂を豊かに造り上げてゆく、そういう人だったと考えられますね。

司会:

ま、もちろんご主人の三浦光世さんの献身的な・・・

高野:

もうこれは我々にはとってもできないことですね。想像もつかないようないろいろなご苦労をですね、やはり三浦光世さんは何一つ愚痴をこぼさずに、一貫して介護に当たられてきた、その姿というのはやはり非常に感銘を与えるものですね。やはり光世さんの人生観というのがやっぱりものの考え方の確かさというかですね、やはり結婚するときに誓った「愛するか」という問いかけに対して、たぶんこれは神からだと思うのですけれども「愛する」と答えた、その誓いを一貫して自分の妻の綾子さんに捧げて貫き通してきたということが言えると思います。

(リスナーからのお便り)

司会:

なるほどねぇ。そのお二人のほんとに感動的な生き方に共鳴するお便りをたくさんいただいておりますが、今日はほんとにたくさんいただいた中からその一部をご紹介してみたいと思います。

まつだきみこさんというさくらい市からいただきました。

「私は数年前に結核を患いましてその時に三浦綾子さんの道ありきを読みました。その中の綾子さんの恋人の話、前川正さんの綾子さんへの愛の深さ、誠実さ、まじめさに感動しました。今でも読み返すと涙があふれてきます。とともに自分自身を深く反省するのです。私はこんなにも深く誠実に相手を思ったことがあるだろうか。自分は思われること、愛を求めることばかりで前川さんのように深く想い尽くしたことがあるのだろうか。今からでも遅くないのなら残りの人生を夫や家族、孫を愛し抜いて生きようと思うのです。」

まつだきみこさん、さくらい市からのお便りでした。それからこの方は牧師さんです。東京の浜田山の教会ですね。牧師さんをなさっているほそかわかずとしさんという方からお手紙をいただきました。

「私は札幌での牧師時代に何度か三浦さん夫妻に会う機会があり小説ではない生の三浦さん夫妻について忘れられない点があります。第一は夫婦愛です。三浦綾子さんのご主人への幼子のような信頼と尊敬です。ある講演をお願いしたときがありました。講演会場には綾子さんだけで来られホテルでご主人が待っておられました。講演会後、綾子さんがホテルのご主人に電話されたとき横で聞くともなしに耳にしたのは光世さん大丈夫、光世さん、光世さん、ということでした。十年以上前とはいえ、ご夫妻も五十代半ばを過ぎていたかと思いますが、その初々しい愛し合う姿を忘れられません。もうひとつは三浦綾子さんの謙遜です。謙虚さです。お会いして挨拶すると必ず三浦さんの頭が小生の頭よりはるか下にあるのです。今度会ったときは三浦さんの頭より自分の頭の方が下になるように考え試みるのですが、やはり三浦さんの頭が下にあるのです。三、四十代の牧師にも謙虚に接してくれました。三浦さんはキリスト者として口先だけでなく日常生活で夫婦愛と謙虚さを教えてくださったと感謝しているものです。」

もうひとかた紹介しましょう。旭川市のただひろこさんです。

「先生が重体と新聞に報道されたのは9月はじめでした。体調がすぐれないと耳にしていましたがだいぶお悪いと改めて知りました。その頃、同じ病院に私も入院しました。で、なんと先生の病室のお隣だったのです。私は一読者として先生の執筆された本はほとんど読んでいました。また何冊の本は先生直筆のサインをいただき大切にしています。毎日、親族の方が交代で手厚い看護をなさっていました。私などは静かにしているばかりでなんとか快復していただきたいと隣の病室でささやかなお祈りをしていました。多くの方々も私と同じ気持ちだったと思います。日が経つうちにだんだんと人の出入りが少なくなってきたので小康状態だったと思っていました。10月の10日過ぎ、一般患者は寝入りに休まる頃、隣室が騒々しくなるように思いました。その時が最後のお別れだったのですね。一瞬寂しく悲しくなりましたが、ご主人様はじめ親族の方々の深い祈りのうちに天国に行かれたと確信し、多くの病と闘われた先生は今度は天国から私どもに信ずる神の教えを贈ってくださるに違いありません。心よりご冥福をお祈りいたします。」

ほんとに大勢の方々からお手紙をいただきました。こうして数々の病と不屈の精神力と強い信仰で乗り越えられてきた三浦さん、今年十月十二日、七十七歳で天に召されました。心からご冥福をお祈りいたします。今日の北海道発ラジオ深夜便午前0時台1時台は札幌のスタジオに文芸評論家で三浦綾子記念文学館館長の高野斗志美さんをお招きして、「北の文学作家三浦綾子さんを語る」をお送りして参りました。高野さん深夜長時間にわたりどうもありがとうございました。

高野:

こちらこそありがとうございました。

司会:

それでは最後に綾子さんのご主人光世さんのお歌いになっている賛美歌405番「神ともにいまして」を聞きながら改めて三浦綾子さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

(光世さんの歌が流れて番組は終了です。)

2001-09-08 Update

三浦綾子入門 番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編

番外編.三浦綾子さん関連番組その1前編

ここでは三浦綾子さんに関連するテレビ番組あるいはラジオ番組などに関する情報を提供していきます。

まずその1として、1999年12月25日にNHK(ラジオ)で放送された「ラジオ深夜便『北の文学・作家三浦綾子さんを語る』」の放送を書き起こしてみました。二時間番組でしたが、まずは前半一時間分を「前編」としてお送りします。

この放送のゲストとして三浦綾子さんを語っているのは三浦綾子記念文学館の館長でもある文芸評論家の高野斗志美さんです。(三浦さんの本の後についている解説などたくさん書かれているので名前を見かけたことある人は多いと思います。)

 

1999年12月25日(24日深夜)放送
「ラジオ深夜便 北の文学・作家三浦綾子さんを語る」より

ゲスト:高野斗志美さん

司会:

今年10月12日に亡くなられた旭川市出身の作家・三浦綾子さんの人となりと作品、それを産んだ北海道の風土などについてお話ししていただきます。

スタジオには文芸評論家で三浦綾子記念文学館館長の高野としみさんにお越しいただきました。

高野さんよろしくお願いします。

高野:

よろしくお願いいたしします。

(三浦綾子記念文学館について)

司会:

高野さんが館長を務めていらっしゃいます三浦綾子記念文学館、去年の6月にオープンしたんですねぇ

高野:

そうですね、去年の6月13日に旭川にあります神楽の外国樹種見本林の中にできました。

これは全国から一万五千人を超える市民の方たちが力を合わせまして、旭川を中心にしまして、そういう市民運動の力を結集してできあがった民立、民営の文学館でございまして、三浦綾子さんの仕事を末永くお伝えしたいということでできあがりました。

司会:

あの、いまお話にありました見本林というのは「氷点」の舞台になったところですね

高野:

そうですね、特に氷点のラストシーンにあります陽子が自殺を図った、美瑛川を後ろに控えました大変に印象深い風景をもった土地ですね。

司会:

この場所にそういう記念文学館ができましたことは三浦綾子さんご自身も大変喜ばれたでしょうね。

高野:

ええそうですね。そしてどうかもう一度みなさんがこの文学館に足を運んでくれるように、そういうふうにもう一度来てみたい、そう思うような文学館にして欲しいと、切に願うとおっしゃっておられましたね。

司会:

その去年の6月のオープンの際はご自身も参加されたんですね

高野:

そうですね。光世さんに支えられですね、お亡くなりになられましたけども秘書の八柳洋子さんという方がおられるのですけれども、その(二人に)両側を支えられまして、元気にとってもうれしそうにオープニングセレモニーに出られたことをありありと思い出します。

(三浦綾子さんの足跡~作家になる以前)

司会:

あぁそうですか。長い闘病生活のすえに今年の10月12日に77歳の生涯を閉じられた三浦綾子さんですが、その三浦さんの足跡をたどっていきたいと思います。

まず作家になる前の三浦さんのお話からうかがいたいと思います。

高野:

あの~、三浦さんの場合は、お話しするときはいつも私、言うんですけれども四つの自伝小説があるんですね。

小さな頃を書いたのが「草のうた」という自伝小説です。それから小学校を終えてですね女学校を出てそして学校の先生になってそして敗戦を迎えるというその足取りを描いたものが「石ころのうた」という自伝小説ですね。それから1945年から氷点という小説で文学界にデビューするまでの足取りを書いたものが「道ありき」という自伝小説ですね。氷点で出発した以後の、結婚生活を描いたのが「この土に器をも」という自伝小説ですね。

それをもとにしてご紹介をしたいと思うんですけれども。

司会:

はい

高野:

三浦綾子さんにとって大きなターニングポイントというのはひとつには1945年8月15日の日本の敗戦ということですね。

これはあの、三浦綾子さん、堀田綾子さんと当時は呼ばれていましたが、学校の先生、教師をしておりましてその教師の間というのはいわゆる戦争中でしたのでたいへん一生懸命に、熱心に子供を教えていく非常に教育熱心な先生だったわけですね。子供が大好きだったという、そういう先生です。そしてあのその考え方というのは当時の日本人がすべてそうであったように、国家の行う戦争というのは正しくて清い戦争だという、つまり聖戦であると信じ込んでいたわけですね。(他の)日本人と同じように堀田綾子先生も日本の国柄、天皇を中心とする絶対主義、軍国主義をですね、そういう国のありかたに疑いを持たないで一生懸命に子供たちを教えてきたわけですね。

そういう価値観が全部壊れてしまうのが1945年の敗戦というわけだったのです。その時に受けたショックというのが非常に大きいわけですね。そのために今までの自分の生活やあり方に根本的な疑問を持つわけです。

そしてこれ以上先生を続けることはできない、とそう思って1946年、昭和21年3月をもって学校の先生を辞める、これは旭川の小学校でしたけれども、やめるわけです。 その後の堀田綾子さんの足取りは非常に荒れたものになるわけです。

司会:

ほう

高野:

自分が信じた国家権力に裏切られたと、この絶望感というのは取り返しがつかない、どんな力によっても癒えることはできない。そういう自分というのが信じられないと大変に苦しむわけです。毎日毎日荒れはてた生活を続けていく。その間に結核という病気にかかり、そして療養生活に入るわけです。

その前に現れたのが幼なじみの前川正という人なんです。 この人が非常にそういう失意と絶望と荒れ果てた生活を送っている堀田綾子さんを心配するわけです、小さな頃から知っていましたから。 この方もやっぱり結核でもって札幌にいたんですけれども北海道大学医学部を休学して旭川に療養のために帰ってきていたわけです。

で、たまたまそういうことで二人は出会うわけです。そして病気の体をお互いに持ちながら交渉が始まるわけですが、今言ったように非常に堀田綾子さんのことを心配する、そして有名な話があるんですけれども、これは「道ありき」ですね、旭川に春光台というところがあるんですけれども、その丘のところを二人で歩いていたときに、やはり堀田綾子がですねまじめな態度をとらないと、その時に前川正さんが急に草の中に座り込んで傍らの石をつかんで、自分の足を強く打つわけです。そのことによって堀田綾子さんは非常に驚くわけです。

(途中臨時ニュースで中断後、再開)

司会:

高野さん、先ほど三浦綾子さんを前川正さんがいさめたというお話、そこまでうかがいました。その後三浦さんはどういう経過をたどるのでしょうか。

高野:

その時ですね、はじめて堀田綾子さんの心にかすかであるけれども立ち直る希望の光が見えてくるわけです。

そして前川さんと一緒に札幌へ行き、札幌医大で診察を受けたところがはじめて病気の大きな原因であったものがはっきりするわけです。 その結果、脊椎カリエスであることが判明するわけです。そして直ちに病院では絶対安静を命じるわけです。そしてあの、ギプスを全身にかけてベッドに寝たっきりになるわけです。ですからいわば、昭和21年の発病から始まった13年間の闘病生活がそこで本格的に始まるわけです。

その時に堀田綾子さんははじめて自分の心が安らかになったということを感じるわけです。そして直ちに病床に牧師さんをお招きして、そしてキリスト教へ向かうつまり受洗をする、病床で受洗をされキリスト者になっていくわけです。そしてやっと魂の組立というのがそこでできて、新しい希望がそこに生まれるわけです。

ところが、それは昭和27年なんですけれども、昭和29年になりまして自分を導いてくれた前川正さんがですね、やはり同じ肺結核でしたが手術の失敗で急にお亡くなりになるのです。 それで非常なショックをまた受けてですね、一年間ほどはほとんど誰にも会わないで闘病生活を続けたわけです。

その前に現れたのが、不思議なご縁としかいいようがないのですが、非常に前川正さんと姿、形、声、ものの考え方が似ておられる一人の男性、つまり今の三浦光世さんがお見舞いに訪れることになるわけです。

そして非常に前川さんに強く心を残しながらも実際にいろいろな話し合いをしていく中で光世さんに心を惹かれていきまして、結婚しようというふうに決心していくわけです。光世さんの方はですね、「いや、今あなたがここにいるのは前川さんのおかげなんだと、その前川さんのそういうお力を大事にするための私たちは深く愛し合って共に手を携えて生きていこうではないか」と、こういうふうに言うわけです。

で、前川さんもクリスチャンでありましたし、また三浦光世さんも同じくクリスチャンであったわけですね、バイブルの上にお互いの手を重ねるようにして愛を深めていって昭和三十四年にお二人は結婚をなさる、そういう足取りをとるわけです。

今までお話をしたように戦後のいわば三浦綾子さんにとってのポスト戦後、そういう生活をずっと綴ったものが、これは昭和三十八年に主婦の友に発表された「太陽は再び没せず」という手記なんですよね。これが昭和三十八年の新年号に発表されますと全国から「非常に感動した」というメッセージがたくさん届くわけですね。それを見てですね、もうすでに三浦綾子さんになってますけれども、三浦綾子さんは「大衆が読む雑誌に、ものを書くということの大切さをこれほど痛感したことはないと、もし今後こういう機会が与えられるならば、才能はないけれども私はできる限りこの機会を活用したいと、やはりものを書いてみたい」と、そういうふうに言うわけです。

そういう準備があって初めて氷点を書いていく心の用意ができるわけです。そして昭和三十八年いっぱいかかって氷点を書きましてこれを朝日新聞社に送る、いわゆる一千万円の懸賞新聞小説ということになって、これが昭和三十九年(1964年)に入選して文学界にデビューを果たすと、こういう足取りがあったということができると思います。

(三浦綾子さんの足跡~作家としての三浦綾子)

司会:

はい、そして作家になられた三浦綾子さんのお話をこれから伺って参りたいと思いますがひとことで言うと三浦さんはどういう作家ということができますか

高野:

そうですね、三浦綾子さんをもし一口でいえばどういう作家といえば、やはり庶民の立場に立ってそれを一貫させながら、人間はいかに生きていくべきなのか、ということをですね骨太に問いかけた作家であるというふうに言うことができると思うのです。

デビュー作は氷点ですけれども、氷点のところではいわゆる人間の自己中心的な生き方ということを問題にしているわけです。主人公は陽子という少女になるわけですけれどもその陽子を中心にしましていわゆる陽子の家庭の中で起きる、夫と妻の自己中心的な生き方がどれだけ他人を傷つけそして自分自身をも亡ぼしていくということ、それが的を外れた生き方ということになるんだということを描いた非常に力のこもった物語になるわけです。その中で陽子が感じていくのは、罪が無いというふうに思っている人間も自己中心で自分が正しいと思いこんでいる限りはいつかは罪を犯す可能性を持っているのだということを感じるのです。それが「原罪」ということになるわけです。 その他にそういう原罪というのを三浦綾子さんは「的を外れた生き方」と言っていますね。

あるいは今度は次に「ひつじが丘」というのを書きまして、「塩狩峠」に入りますけれども「塩狩峠」では他人のためにいかに愛を捧げ尽くすことができるか、という問題、つまり愛ということが人間にとってどれほど大切なのかということを塩狩峠で明らかにした。これは翻訳されたものの中でも一番読まれている作品でして非常に多くの人たちに感動を与えているということがあります。

司会:

主人公の長野信夫さんというのは実際に長野政雄さんという方がいらっしゃったそうですね。

高野:

そうですね。これは明治の話になるわけですがそれを現在の、いわば私たちが生きる現在に重ねて描ききった名作のひとつであろうと考えられます。

そのほかには最後、晩年になりまして「銃口」というのがありましてこれは昭和を生きた庶民の歴史を物語っているものでして、具体的には北海道綴り方教育連盟事件という実際にあった事件をモデルにして書き上げた物語ですね。

(再度、臨時ニュースで中断後、再開)

司会:

高野さん、先ほど銃口のお話までうかがったのですがこの銃口というのは三浦さんにとって敗戦の経験とつながる社会に対するメッセージでもあったわけですね

高野:

そうですね、いかに生きるかという場合に三浦綾子さんは自分自身どういきるかということと、他人に対してどう生きるかということと、それから社会に対して人間はどう生きるべきなのかということを考えるわけですけれども、「銃口」というのは日本人と社会、日本と日本の歴史・昭和という関係を非常に深く追求した作品が銃口であると思います。

一貫して三浦さんの作品はいかに生きるかを自分自身に問い、他人に向かってさらに問い、そして社会に向かっても問い続けていくという非常に骨太なテーマをもった作家であったということが言えるのでありまして、この方が早々とお亡くなりになったということは非常に残念であるし、ご本人もやはりもう少し書きたかったなと思っておられると思いますけれども。

(三浦綾子さんの足跡~夫・三浦光世さんのこと)

司会:

作家としての三浦綾子のお話を伺ってきましたが、この三浦綾子さんを支えたご主人の光世さん、この光世さんとの二人三脚というのも大変仲のよいご夫婦であったんですね。

高野:

そうですね、結婚をする時から男性は女性を対等の人格者として認め、女性の方も男性を自分と対等の人格者と認め、その上で人間としての愛を紡いでいくのだという、そういう確固たる信念の下で二人は結ばれているということがあります。

そして塩狩峠という小説の半ばからすでに夫の三浦光世さんがですね、綾子さんのために口述筆記を始めておられるんですね。 ですから初期から口述筆記をずっとやっておられてわけで、それが最後まで続くわけですから大変なことで、これは文学的なことを言えば、コラボレーションといって、共同作業ですけれども、特にそういった点では三浦光世さんは三浦綾子さんの最もよき共同者であったということが言えると思います。松本清張さんが驚いたほどの口述筆記で・・・

司会:

絶妙の呼吸だったそうですね お二人はいつも一緒で、散歩それから意外だったのですがカラオケもお好きだったようですね

高野:

そうですね三浦綾子さんというのは先ほど言いましたようにいかに生きるかを骨太に問うということでですね、世間では大変お堅い人間のように思われているようですけれども、しかし一面、非常に茶目っ気がありましてカラオケが特に歌が好きで、踊るのが好き、非常に茶目っ気があって、ユーモアがあってとっても人間的な側面というのを豊かに持っておられた方ですよね。

最近のことになるのですが、北海道開発功労賞をもらった時に、そのパーティーで札幌にいる作家の小檜山ひろしさんの奥さんに急に歌を歌えということで、それで歌を歌ったんですけれども、まあカラオケですけれども、これはこの種の公のパーティーでは初めての出来事であったようです。そんなふうな茶目っ気たっぷりなところがあってですね、みんなを笑わせるということですね。

司会:

高野さんも歌わされたことがあったんじゃないですか

高野:

そうですね、僕も何回か注文されまして下手くそな歌を歌って笑われたことがありましたけどもねぇ

司会:

お二人はそして結婚直後から毎年欠かさずこの時期に子供クリスマス、近所の子供たちを自宅に招いてクリスマスの会を開かれていました。今年は12月27日に光世さんおひとりになってしまいましたけど自宅で開かれるそうですね。

高野:

そうですね、その準備に取りかかっていると思いますけれども。いつも光世さんがサンタクロースになりまして、たくさん子供たちが集まるんですよ、そして子供さんたちみんなにプレゼントするわけですけれども、今年も同じように今はない綾子と一緒に心を合わせるような形できっとおやりになるだろうと思います。

司会:

あぁそうですか。

さあそれではここで、三浦綾子さんが大好きだった「赤とんぼ」をですね最愛のご主人、光世さんの歌でお聞きいただきたいと思います。

(しばし、光世さんが歌う「赤とんぼ」が流れる・・・ そして、歌が終わり)

司会:

高野さん、光世さんご自身の歌ですが、すばらしい声ですねぇ

高野:

はい、光世さんの声には定評がありまして、この赤とんぼは十月二十五日の旭川市民による作家三浦綾子さんを偲ぶ会でもってですね、一番最後に光世さんが、綾子さんが好きだったということでこの歌を、まず一番を歌いあとは全員でもって合唱してですね、でお送りしたというそういういわくもあります。

司会:

あぁそうですか。めったにきけない三浦綾子さんのご主人・三浦光世さんの歌で、綾子さんが大好きだった赤とんぼをお聞きいただきました。

(以上で前半の放送が終わりました。後編をお楽しみに)

2001-06-24Update

三浦綾子入門 6.文学館へ行こう!

6.文学館へ行こう!

1998年6月13日に開館した”三浦綾子記念文学館”。三浦綾子ファンにとっては聖地ともいうべき場所。その文学館は三浦綾子さんが一生を過ごした旭川の地にあります。

このコーナーでは、”三浦綾子記念文学館”(以下、文学館と略す)について特集します。

場所

文学館は旭川市神楽の外国樹種見本林の中にあります。見本林といえば、小説”氷点”の舞台となった場所です。この見本林を抜けると小説の中で陽子が自殺を図った美瑛川のほとりに出ます。

アクセス
JR旭川駅から車で10分程度(タクシーで800円~1000円)
旭川中心部より10分程度 神楽農協駅前下車

※駅から歩いても40~50分ぐらいで着くと思います(経験談)。雪がない頃なら自転車も気持ちよさそう。

文学館手前に文学碑

没後一周年にあたり、三浦綾子文学碑を建立。除幕式は2000年10月12日(綾子さんの命日)に行われた。この除幕式に関してはコッコさんのソンシアの家にて詳しく報告されているのでご参考に。「文学碑除幕式に参加して

<ひかりと愛といのち>をテーマに

館内はテーマごとに五つの常設展示室に分かれ、三浦綾子さんの著作、原稿(コピー)やビデオなどが見ることができる視聴覚室の他、喫茶室もありゆっくりとできる空間です。その他、入り口入ってすぐのミュージアムショップでは関連グッズを購入することができます。

個人的にはBGMがとても素敵だと感じました。そんなに広い建物ではないのですが、なんか遠くの方から聞こえてくる感じがとても心地よい音に聞こえました。

第一展示室 <三浦文学のすべて>

”すべて”と題しただけあり、三浦綾子さんの著作が年表と合わせてずらりと並んでいます。翻訳本の多さに驚くかと思います。これだけ海外で翻訳されている日本の作家はそうそうはいないのではと思うほどです。

第二展示室 <作家への道のり>

ここでは三浦綾子さん誕生から氷点で世に出る前までの期間がまとめられています。教師生活の模様や前川正さんとの出会いなど。

個人的に目が止まったのは学生時代の作文です。学生時代にしてこの文章力!と本当に驚きました。内容は幕末の大老井伊直弼に関するもので皇国思想が強く感じられ時代を感じさせてしまいますが、これが本当に作文かという印象を受けました。

第三展示室 <『氷点の世界』>

出世作となった「氷点」に関してまとめられた部屋です。各種の原稿(下書き、応募用、新聞連載用)があり、必見の一室です。また、綾子さん著作の中で一番多くテレビドラマ化、映画化されたのは氷点であり、なんと七度も映像化されているのです。その歴代の陽子役、夏枝役の女優さんの名が並んでいたり、また氷点の各登場人物ごとの年表らしきものがあったりいろいろと楽しめます(この年表らしきものはハートのしみでも作成してみたいと思っています)。

第四展示室 <ゆたかな作品群>

塩狩峠、母、銃口などの小説を書く上での取材活動の一端を知ることができます。何冊もある分厚い取材ノートを見ると、これだけ綿密に準備してから書いていたのかぁと素直に感動しました。

第五展示室 <共に歩んで>

三浦文学においては欠かせない存在の夫・光世さん。光世さんとの共同作業のいったんを知ることができる一室です。

ここではなんと言っても書斎の写真が一番印象的でした。近藤多美子さん撮影の写真とのことですが、一瞬目がくらくらする感じの写真ですが、本当に綾子さん、光世さんのいる書斎におじゃましているような感覚になる不思議な一枚です。

視聴覚室

三浦綾子さんの著作が多数置かれている他、講演会やラジオ放送を録音したカセットテープや映画、ドラマなどのビデオテープが置いてあり自由に閲覧することができます。

その他、点字の作品や氷点などの原稿のコピーなどもあります。原稿のコピーは直に手にとって読むことができるので、時間があれば出版物と較べて読んでみるのもいいかもしれません。

見本林

文学館へ行ったら、見本林を散歩されることをお薦めします。さすがに雪深い季節は歩ける範囲が限られますが、雪がない季節ならば堤防を越えて美瑛川まで出てみてもいいでしょう。この見本林にはストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツ、ヨーロッパトウヒなど約50種あまりもの樹木が植えられており、雰囲気もいい感じです。

また、私は見かけることができませんでしたが、キタキツネの4匹家族の他、リスもいるということです。

賛助会員

三浦綾子記念文学館は全国の三浦ファンの募金によりつくられ、ボランティア団体の「おだまき会」による協力といった市民の手により運営されていく文学館です。

そして、運営に要する費用は賛助会員による賛助会費によりまかなわれています。賛助会員は常時受け付けているようです。参考までに年会費、会員特典も記しておきます。

年会費
(個人会員)一口 二千円 一口以上
(法人会員)一口 二万円 一口以上
(団体会員)一口 五万円 一口以上
※口数の制限はありません。

会員特典
・文学館の入館料無料
・三浦綾子記念文学館 館報「みほんりん」の送付
・ 各種イベントの案内

会費納入方法については郵便振込と銀行振込がありますが、詳細は文学館事務局(電話番号0166-69-2626)にお問い合わせください。

三浦綾子記念文学館
財団法人三浦綾子記念文化財団
〒070-8007 旭川市神楽見本林
TEL 0166-69-2626 FAX 0166-69-2611
URL http://www.hyouten.com/

2001-09-08 Add
2010-01-10 Update

2010年1月 4日

三浦綾子入門 5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界

5.マルチメディアで楽しむ三浦綾子の世界

ここでは三浦綾子さんの世界を映像(ドラマや映画などのビデオ)や音声(ラジオ、テープ)で楽しめるものを紹介したいと思います。もちろんここに挙がっているのが全てではありません。他にもたくさんあるようですが、私が見たこと、聞いたことあるものを中心にしてここでは紹介していきます。

映画編

映画化されたのは4作品、テレビでドラマ化されたのは27作品にもなります。また、その他テレビ等での特集番組などを加えると相当な数になるでしょう。ここではビデオ化されているものを中心に紹介します。

「氷点」 1966/03/26~ 大映映画

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出演:陽子(安田道代(現・大楠道代)) / 夏枝(若尾文子) / 啓造(船越英二) / 徹(山本圭) / 辰子(森光子) / 北原(津川雅彦) / 村井(成田三樹夫)

映画「氷点」(DVD)を購入されたい方はこちら。

映画「氷点」評:悪くはないが、コンパクトにまとまりすぎの感がなくもない。原作を読んでから見た方がよい。

映画 「塩狩峠」

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監督 中村登

脚本 楠田芳子

出演:中野誠也、新克利、永井智雄、近藤洋介、佐藤オリエ、長谷川哲夫、滝田裕介、岩崎加根子

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

塩狩峠(DVD)

映画「塩狩峠」評:クライマックス直前の場面から始まり、それから過去に話が飛び、徐々に盛り上がっていく感じはとてもよい。ただ原作以上に宗教くさい気がした。

映画 「海嶺」

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制作:長島清・中條宏行

脚本:貞永方久・緒川浩一

松竹、ワールド・ワイド映画提携作品

出演:西郷輝彦、竹下景子、井上純一、あおい輝彦、ジョニー・キャッシュ、火野正平、松本秀人、東野栄治郎、米倉斉加年、田村高廣

映画「海嶺」評:”国っていったいなんなんやぁ~”という台詞が妙に頭に残る。漂流中の場面はかなり省略されている。

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

海嶺(DVD)

テレビ編

連続ドラマ 「氷点」 1966/01/30~04/24放送 NET-HBC

イチ押し!

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陽子(内藤洋子) / 夏枝(新珠三千代) / 啓造(芦田伸介) / 徹(岸田森) / 辰子(市原悦子) / 北原(井上紀明)村井(田村高広) / 松崎(中真千子) / 高木(北村和夫)

ドラマ「氷点」評:ドラマ化、映画化された中で一番秀逸な作品。ものすごく感じが出ていて雰囲気バッチリ。私の中の氷点のイメージとぴったりきた作品。

ドラマ「氷点」全6巻セット(品薄かも。。。)

ドラマ「氷点」 1989/04/06、07放送 テレビ朝日、HTB

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脚本 井沢満
演出:大野木直之
テーマ曲 玉置浩二 「氷点」作詞:並河祥太 作曲:玉置浩二 編曲:星勝
音楽:福井崚

出演:辻口陽子 万里洋子 / 辻口夏枝 いしだあゆみ / 辻口啓造 津川雅彦 / 辻口徹 野村宏伸

/ 村井靖夫 世良公則 / 高木雄一郎 上條恒彦 / 松崎由香 高橋ひとみ / 藤尾辰子 泉ピン子

ドラマ「銃口」 NHK-BS

脚本 ・・・ 布勢博一
演出 ・・・ 高橋一郎

出演 : 北森竜太 (畠中 洋) / 中原芳子(有森也実) / 坂部久哉 (永島敏行 ) / 森政太郎 (杉浦直樹) / 沖島先生(香川照之) / 沢本校長 (すまけい)

旭川の三浦綾子記念文学館の視聴覚室にテレビ放映を収録したビデオテープがあった。(未見)

知ってるつもり「生きる勇気を詠った作家三浦綾子」2000/04/30放送 日本テレビ

知ってるつもりで三浦綾子さんの特集があった。貴重な写真やビデオなどを織り交ぜながら綾子さんの一生を紹介。主な話は下記の通り。

・誕生から幼少時代の話
・教師時代の話
・敗戦、そして闘病時代。前川正さんとの出会い
・夫・三浦光世さんとの出会い
・三浦商店時代の話
・小説「氷点」の執筆、懸賞当選。
・氷点読者の少女が自殺した話。
・数々の病気との闘い
・星野富弘さんとの出会い

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コメンテーターとして高野斗志美さん(三浦綾子記念文学館館長、文芸評論家)や大空真弓さん(三浦綾子原作のドラマ「羽音」や「積木の箱」に出演。三浦夫妻とも親しい)も出演。

舞台編

・「母」

前進座による舞台化。残念ながらすでに公演は終了している。

ビデオ編(講演会など)

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・むなしさの果てに

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

むなしさの果てに(VHS)

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・三浦綾子夫妻講演 - 愛すること信じること

1987年5月23日青山学院大学講堂における講演会の模様が収録されている。

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

三浦綾子夫妻講演 (VHS)

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・祈りと執筆の日々

ライフ企画(いのちのことば社)より3800円にてビデオが発売されている。

祈りと執筆の日々(VHS)

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・特選 三浦綾子の家庭論

1971年から72年にかけてHBCにてテレビ放映されていた幻のテレビエッセイを収録。全17話。

交通事故に思う
母が母であると感ずるとき
夫婦のラブレター
ほほえみ
愛の小箱
二人でわかちあいましょう
家族をほめよう
おいしい味の秘密
道ありき
右の手のなすことを左の手に知らすな
あなた方は世の光である
ふみ出す一歩が道をつくる
人にあげる何物もない人はこの世にいない
愛は取引ではない
舌を制するものは全身を制する
欲がはらんで罪を生む
風を警戒するものは種をまかない

北海道放送(HBC)より2400円にてビデオが発売されている。

写真編

・三浦綾子-文学アルバム

旭川や三浦綾子さんゆかりの北海道各地の写真のほか、写真でつづる半生や、評伝・三浦綾子がみどころ。

・写真集 遙かなる三浦綾子(撮影 近藤多美子)

とにかく三浦綾子さんがいっぱい。

・祈りの風景(写真 児島昭雄)

児島昭雄さん撮影の風景写真と三浦綾子さんのメッセージがセットになった一冊。三浦綾子さんの言葉を読みながらきれいな写真を眺め、そのイメージを膨らませ、いろいろと考えると楽しい。

・綾子・大雪に抱かれて

小説などの作品の背景となった地の風景写真が多数ある。小説の場面を想像しながら見ると楽しい。

・三浦綾子 愛の歌集 いとしい時間

歌集だが、ふんだんに写真が掲載されているのでここに含めてみた。風景写真とともに三浦綾子さんの若かりし頃、教師時代から新婚時代を中心にモノクロな写真が多数ある。

ラジオ編(カセットテープ含む)

・ラジオ深夜便(1999年12月25日放送) 北の文学・作家三浦綾子さんを語る

1999年12月25日NHKラジオで放送された三浦綾子さん追悼番組は当サイトの三浦綾子入門の番外編にて詳細にレポートしていますのでご参考に。

・ラジオ深夜便(NHKカセット) カセット文庫4 1400円(税抜き)

A面 : 三浦綾子 わたしの道
(初回放送 昭和58年7月3日 教育テレビ「こころの時代」)

教師として迎えた敗戦のショック。
虚無と病の中に訪れた、運命的な出会いが、キリスト者としての道をきめることになった・・・。 聞き手:金光寿郎

B面 : 三浦綾子/三浦光世 神に愛されて
(初回放送 平成6年12月24日 ラジオ深夜便「こころの時代」)

数々の重い病にもかかわらず、深い安らぎの日々、という。そのつよい心を支える信仰とは・・・。共に生きる夫妻が語る 聞き手:金光寿郎

2006-07-24 Update

三浦綾子入門 4.はまションのお薦めはこれ!

4.はまションのお薦めはこれ!

3.代表作では一般的に三浦綾子さんの代表作と呼ばれるものという観点を重視して選択してみました。

この4.では、まったく個人的な趣味・好みから何作か紹介したいと思います。もちろん代表作と重なるものもあるのですが、ここではあえて3.代表作と重複するものは省き、それ以外の作品を紹介します。

 

三浦綾子さんの考え方や主張したかったことを理解するには、私は小説よりもエッセイの方が適していると思います。それは、小説の場合、ストーリーの展開上いろいろな枝葉がつきます。これは余計なものというわけではなく、味わい深い作品にするためには必要不可欠なものです。しかし、エッセイではそういった枝葉がそぎ落とされ、三浦さんの主張がぎっしりと凝縮されたものになっている印象を私は持っています。

そして、一生の宝となる言葉がたくさんきらめいています。もちろん小説にないわけではありませんが、エッセイの場合、テーマがはっきりしているため、その意味するところが分かりやすいといえます。

わかりやすいと言えば、三浦さんのエッセイはとても分かりやすく、まるで三浦さんが自分に語りかけているような気にさせます。これは三浦さんの創作形態が口述筆記だったということにも由来するのかもしれません。

とてもわかりやすいのですが、その一編一編をゆっくりと読むのが好きです。

みなさんもたまにはのんびりとした気持ちで本を読んでみてはいかがでしょうか。

それでは私のお薦め作品を紹介します。

 

明日のあなたへ 愛するとは許すこと

asunoanatahe

私の中で一番好きなエッセイがこの一冊です。毎年一回は読むので、5,6回は繰り返しよんでいるのではないでしょうか。

この「明日のあなたへ」を最初に読んだとき、冒頭の言葉でガツンとやられた気がしました。

九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。

この一文を目にしてからこの一冊を手放せなくなりました。ちょっと心が後ろ向きになったとき、この本を手に取ると気がとても楽になり、前向きになれるのです。そして、肩の力が抜け、すっと普通に正面を向いて歩いて行けるのです。文庫本の帯に「どんな時にも未来はある」というのを本当に信じられる気にさせる一冊です。

太陽はいつも雲の上に 私たちを支えた言葉

taiyou

この一冊は、夫・三浦光世さんとの共著ですが、三浦夫妻が名言、格言、諺などを紹介し、その言葉にまつわる話、想いを綴った一冊です。

とても有名な言葉の他、まったく聞いたこともない言葉もありますが、ほう、こういう考え方もあるのかと感心しきりで読んだ一冊です。この本でたくさんの言葉が紹介されていますが、その中でも特に私のお気に入りの言葉のいくつかをここで紹介します。

傷痍なき人生は恥

感動できない人生は常に荒野である

希望は失望に終わらない

雲の上にいつも太陽は輝いている

これらの意味するところは、是非、自ら本を手にとって味わってください。

イエス・キリストの生涯

iesukirisutonoshougai

これは他の作品と比較すると異質なものかもしれません。内容が異質というわけではなく、ビジュアル面で。というのもカラーの挿し絵が半分近くを占めているからです。

いわゆる宗教画を紹介しながら、イエス・キリストの生涯を綴っていく一冊なのですが、とてもわかりやすく書いてあるので美術館へ行く前にこの一冊で勉強しておくと絵画の楽しみが増えるのではないでしょうか。

この一冊は三浦さんのエッセイも楽しめるだけでなく、絵画も楽しめる一冊です。

2000/02/21Update